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「甲陽軍鑑」を読む 19

(散歩道の葉牡丹)

正月も早や三日、午後、女房と散歩に出る。行き先は地区の大井八幡神社である。自分は元日に初詣では済んでいるが、女房は初詣でである。天気は良かったが、北風が冷たかった。

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「甲陽軍鑑巻第十一下」の解読を続ける。「信長、家康、氏政、輝虎、批判の事」の項の続き。

この人物(犬山哲斎)語るには、信長武篇形義(かたぎ)父弾正忠(だんじょうのじょう)をば少しも真似ず。舅(しゅうと)斎藤山城守、弓矢形義(かたぎ)仕り、(そそ)たる様にても、殊の外締りて働くと、沙汰仕り候と申し上げる。信玄公仰せらるゝは、信長父弾正忠は、尾張を半分も治むる事ならずして、小身故、今川義元の籏下(はたした)になり、駿府へ出仕いたし候。斎藤山城は、殊に我等を頼みてまします。
※ 形義(かたぎ)➜ 手本や基準となるもの。模範。基本形。
※ 父弾正忠(ちちだんじょうのじょう)➜ 織田信秀。戦国時代の尾張国の武将、戦国大名。
※ 斎藤山城守(さいとうやましろのかみ)➜ 斎藤利政。道三。戦国時代の武将。美濃の戦国大名。織田信長正室濃姫の父。
※ 注ぐ(そそぐ)➜ 心・力などをそのほうに向ける。集中する。
※ 締り(しまり)➜ 規律やけじめがあること。


土岐殿、牢々(浪々)の後、美濃一国の主に成り、越前の方まで掠(かす)め、山城(道山)嫡子、(斎藤)義龍代には、越前より、朝倉常住坊と申す従弟(いとこ)坊主を、美濃へ人質に取り候ほどなれば、斎藤が弓矢が、弾正忠(信長の父)とは遥々(はるばる)弓矢の位、山城、上なり。信長、斎藤山城弓矢の家風を取る所に致すは、もっともなり。しかも山城が孫龍興(たつおき)を、信長押し散らし、美濃侍を数多(あまた)抱え候わば、父弾正代には、小家中なりつる故、侍は何としても、大家中の家風を真似(まぬ)る者なるにより、自ずから信長衆、大形(おおかた)の儀は、斎藤山城がごとく、致すべく候。それは、あながち真似(まぬ)るにてなくとも、浄土寺へ行けば、天然に念仏申したき心ありと同じことなりと有りて、
※ 土岐殿(ときどの)➜ 斉藤道山を指すか? 土岐氏は、道山の主筋であるが、土岐頼純・頼芸兄弟の不和を道三に利用され、美濃国は道三に盗られた。
※ 遥々(はるばる)➜ 程度がかけ離れているさま。遥かに。
※ あながち ➜ 断定しきれない気持ちを表す。必ずしも。一概に。
※ 天然に(てんねん)➜ 意図しないでそうなること。

(「信長、家康、氏政、輝虎、批判の事」の項つづく)

読書:「九層倍の怨 口入屋用心棒29」 鈴木英治 著
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