平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「甲陽軍鑑」を読む 24
写真は大井川の土手からみた島田の山々である。柏原、矢倉山などが見える。牛尾山がかっては尾根でつながっていた高山は新東名の橋のさらに左手で、画面からは外れている。
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「甲陽軍鑑巻第十一下」の解読を続ける。「高天神にて、内藤修理手柄の事」の項の続き。
小笠原より大身の被官、信玄は幾人(いくたり)も持ちながら、小身者、とちに戦いては、味方大なる御負けと思し召し、暫(しばら)く工夫遊ばして、あの如くなる利発にあまる敵をば、我が家の侍大将には、内藤修理、よくあえしらいて、持ちたりと仰せられ、則、内藤を召し、あの出(いで)たる小笠原衆を城内へ追い入れ、味方引き取るに、込み出されざるように仕り候へ。
※ 被官(ひかん)➜ 武家の家臣・奉行人など。被官衆。
※ とちに ➜ 愚かに。
※ あえしらい ➜ 応答。あいさつ。あしらい。
かの小笠原衆は、去年夏、江州姉川に於いて、信長、家康、勝利を得候事。信長は逃げたるに、家康手柄を仕り、大軍の朝倉を切り崩す。家康下にては、小笠原家中の者ども、初合戦によく仕る故、姉川合戦、信長、家康勝ちたる奇特(きとく)、その手柄を鼻の先へ出(いだ)し、信玄、馬の向きたるにも、武篇立て(ぶへんだて)をすると見え候間、必ず味方、少しも怪我無きように、城の内へ追い入れて、帰り候らえ。敵を打ち取るにも、かまわぬ儀なり。城内の小笠原衆を、押し詰め、押さえければよきことなりと、仰せ付けられ候ゆえ、内藤、委細畏まりて候と、御請けを申す。
※ 奇特(きとく)➜ おこないが感心なさま。けなげなさま。
※ 武篇立て(ぶへんだて)➜ 武勇があるように振る舞うこと。
種々武略をもって敵の弁(わきま)えざるように備えを致し、以って手配りして、二、三の軍(いくさ)をさまで持ち、良き物頭(ものがしら)をまことに幾人(いくたり)も申しつけ、勝利の損得を言い含め、徒士(かち)者までに、その理究(りきゅう)を合点させ、智略を以って敵を多く引き出(いだ)し、武略をよくして、備えを敵に見せ、その後、競り合いを始め候。
※ 武略(ぶりゃく)➜ 戦(いくさ)のかけひき。軍事上の計略。
※ さまで ➜ そうまで。それほどまで。
※ 物頭(ものがしら)➜ 武家時代、弓組・鉄砲組などの足軽の頭。組頭。足軽頭。
※ 理究(りきゅう)➜ 究理。物事の道理・法則をきわめること。
※ 智略(ちりゃく)➜ 知恵をはたらかせた、はかりごとのこと。
(「高天神にて、内藤修理手柄の事」の項つづく)
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