平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「甲陽軍鑑」を読む 33
「長屋門の見て回り」四ヶ所目は、相良の大鐘家である。大鐘家へはアジサイなどの季節に何度か来たことがあり、お馴染みのところだが、今日は中には入らずに、長屋門だけ外から見た。萱葺の屋根はこの後見た黒田代官屋敷と二ヶ所だけだが、やはり趣がある。大鐘家の前には相良の御城に続く、相良街道が通っていて、その名残りが今も残る。足元の大鐘家の屋敷と街道を区切る石垣が、「どこかで見たような」とNさんが云う。そばに小さく相良城の石垣を移築したものと案内板があった。なるほど、相良城に今も残る仙台河岸の石垣によく似ていた。移築の時代は何時だったのだろう。意次の城、破却の時なのか、明治になってからのことなのか。調べてみたい。
今日、午後、静岡の駿河古文書会に出席した。帰りがけに、ある人が解読がつっかえ、つっかえでは、何も頭に入ってこない。途中で疲れて聞くのを放棄したと、辛辣に批判された。確かに今日の解読発表の当番は、入会してまだ浅く、理解が十分出来ていない上での発表で、聞く方がはらはらと気を使った。しかし、発表するからには、解読だけを考えて、何度も読む練習をしてから務めてもらわないと、内容が入って来ないという批判は当たっている。
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「甲陽軍鑑巻第十一下」の解読を続ける。
(申、酉両年御備え)
一 申酉(さるとり)両年の御備え、書付、御分国中へ廻しなされ候。跡部大炊介(あとべおおいのすけ)、原隼人佐、これを奉(うけたまわ)る。辛未(かのとひつじ)(一五七一)八月吉日。
※ 備え(そなえ)➜ 戦国時代から江戸時代において、戦時に編成された部隊。
※ 分国(ぶんこく)➜ 守護大名・戦国大名が領国として支配した国。
一 来年は無二(むに)に、尾、濃、三、遠の間に至りて、干戈(かんか)を動かし、当家興亡の一戦を進めむベしの条、累年の忠節、この時に候間、或いは近年隠遁(いんとん)の輩(ともがら)、或いは不知行故、蟄居(ちっきょ)しむる族(やから)の内、武勇の輩(ともがら)選び出し、分量(ぶんりょう)の外、人数を催(もよお)し、出陣せしめ、忠節の戦功抽(ぬき)んでらるべしの儀、年内油断なく支度肝要(かんよう)の事。
※ 無二に(むにに)➜ 無二無三に。脇目もふらず一途になること。ひたむきになるさま。一心不乱。
※ 干戈(かんか)➜ 武器。たたかい。いくさ。
※ 隠遁(いんとん)➜ 世の俗事を捨て隠れ住むこと。遁世。
※ 不知行(ふちぎょう)➜ 領地支配の権利があるのに、実際はその権利を行使しないこと。
※ 蟄居(ちっきょ)➜ 家の中にとじこもっていること。
※ 分量(ぶんりょう)➜ 身のほど。身分の程度。分際(ぶんざい)。
一 向後(きょうこう)、一戦場に於いて、戦功を抽(ぬき)んでる輩に至りては、忠節の浅深に依って、貴賤を撰ばず、所望(しょもう)を叶え、所領を出すの事。
※ 所望(しょもう)➜ 欲しいと望むこと。望み願うこと。
一 各(おのおの)家中の親類、被官(家来)、累年武勇名誉の人、軍役を勤むる輩、注文を以って申し達せらるべし。向後(きょうこう)、進退相当、恫意(とうい)を加え、また忠節、戦功に随い、直恩を出だすべき事。
※ 注文(ちゅうもん)➜ 注進状。事物の明細を記して上部機関に提出する文書。合戦太刀討注文,合戦手負注文,分捕頸注文など、軍功を上申する際も注進状の形式をとった。
※ 恫意(とうい)➜ いたむ気持ち。
※ 直恩(じきおん)➜ 直接の恩賞。
(「申、酉両年御備え」の項つづく)
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