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「竹下村誌稿」を読む 171 竹下村 31

(散歩道のハルシャギク)

今朝、大阪北部を震源とするマグニチュード6.1の地震があった。最大震度6弱の地震があった。すぐに思い浮かんだのは、枚方在住の友人KY氏のことであった。しかし、電話が混んでいるだろうし、自分の電話は優先度は低いと思い、少し時間を置こうと思っていると、先方からブログのコメントを使って安否を連絡してくれた。ともあれ、無事を確認出来て、目的は達せられた。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

(元禄)十二年(1699)十月、田方不作にて検見ありし際、志戸呂村庄屋の手違いにより、隣町村より代官所へ差し出したる一札あり。

      差し上げ申す一札の事
一 当立毛小検見として、各(おのおの)様、村々お越し成られ候節、志戸呂村に於いて、庄屋相煩(わずら)い申す由にて、組頭一人罷り出で、田所御案内仕り候処、内検見の仕方宜しからず、合毛御仕法相違致し、その上地□□の次第も一切□□候由、組頭の外、地主百姓も御出合い申さず、段々不届きに思し召し、手錠相掛け村へ御預け、度々の御吟味の趣、とかく申し上ぐべき様も御座なく、御もっともに存じ奉り候。

※ 立毛(たちげ)- 田畑で生育中の農作物。主として稲についていう。
※ 小検見(こけみ)- 大検見(おおけみ)の前に、代官の手代が行った検見。
※ 内検見(うちけみ)- 村側で前もって作柄を調べ、結果を絵図とともに検見役人へ提出すること。(検見の手順/内検見 ⇒ 小検見 ⇒ 大検見)
※ 合毛(ごうけ)- 内検見の際に作柄を検査した上で籾の量を測ること。


併し、御年貢賄い時分にも差し掛り、庄屋は久々相煩い罷り在る儀に御座候間、何とぞ御免下さるべく候様、五和村筋、観勝寺、洞善院、相加わられ、御断り申され候に付、御免下され候由、仰せ渡され、村掛□共に忝く存じ奉り候。以後、箇様(かよう)の儀御座候わば、何(いか)様にも仰せ付けらるべく候。その為、かくの如くに御座候、已上。(□は腐蝕)

  十月朔日           金谷町百姓宿   次郎左衛門 ㊞
                 同町年寄     三右衛門  ㊞
                 牛尾村庄屋    彦右衛門  ㊞
                 竹下村庄屋    八左衛門  ㊞
    水口小野右衛門様
    大頭甚五左衛門様    (以上下島氏記録)


按ずるに、この時代は世の階級多く、官憲の力極めて強く、官職あるものその職権を弄(ろう)すること甚だしく、上司の人民を遇する土芥の如く、支配下の人民に対しては百姓町人と呼びなし、全く生殺与奪の権を有し、しかも人民は絶対服従せしものなり。その職務に関する責任にして前記の如し。所謂武断的政事を実現せしものゝ如し。
※ 土芥(どかい)- 土とごみ。ねうちのないもの、とるにたりないもののたとえ。

然るに、当時寺院は制外の徒(長袖)と称して推重せられたれば、寺院の中(仲)介に対し、特にその責を寛宥せられたるものなり。されど翻って、治者と被治者の内容を見るに、領主代官は産業を奨励し、風教を維持し、人民を愛撫する状態も少なからざれば、人民は領主代官を畏敬するのみならず、永き年代の関係より、領主代官と人民の間柄は、寧ろ円滑と云うべき趣も、なきにしも非ざりしなり。
※ 長袖(ながそで)-(武士が袖くくりして鎧よろいを着るのに対し、常に長袖の衣服を着ていることから)公家・医師・神主・僧侶・学者などの称。
※ 推重(すいちょう)- 尊び重んじること。
※ 寛宥(かんゆう)- 寛大な心で罪過を許すこと。
※ 風教(ふうきょう)- 徳をもって人々を教え導くこと。風化。
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