goo

「竹下村誌稿」を読む 162 竹下村 22

(散歩道のサフランモドキ)

朝から雨模様。今日から東海地方も梅雨入りが発表された。高校の同窓会の通知が来た。去年あったばかりの気がするが、今年はどうしよう。大阪のYK氏に連絡してみようかと思う。

********************

「竹下村誌稿」の解読を続ける。

この年(元禄五年、1692)、代官所より、本村新開地改めあり。田四畝弐歩、畑三畝拾六歩、この高五斗八升四合増石となる。また前記屋敷高は免除すべき理由なしとの故を以って、翌年より高五石八斗七升七合、高入れとなる。これに於いて、本村高、弐百五拾三石弐升と確定す。元禄高帳に、高弐百五拾三石弐升、竹下村とあるものこれなり。この高帳は、徳川時代に於ける遠江の石高を考うる標準となすべきものにして、現今の土地台帳に比すべきものなりとす。

この時代は、本村及び付近を支配せし代官所(陣屋)は、金谷、島田の二ヶ所ありて、事務を取り扱いしと見えたり。代官所の修繕、その他の費用は、その所内の高割りとして、賦課せられたる当時の触れ書あり。
※ 高割り(たかわり)- 江戸時代、石高に応じて、諸役や村入用を割り当てること。

元禄五申八月より酉七月まで、(金谷・島田)御陣屋水夫入用、酉春、金谷陣屋破損入用
一 金四両弐分             金谷陣屋破損費用
 これは、座敷並び本家屋根葺き替え、萱・縄・竹または葺き師手間代、かくの如し。
一 金壱両弐分銭七百五拾文       同所惣垣結い直し入用
 これは、御林、籔の竹伐り、持ち運びの日雇銭、並び縄代、垣結い人足日雇い銭とも入用、かくの如し。
一 金九両               金谷・島田陣屋水夫入用
 これは両陣屋に差し置き候水夫二人、去る八月より酉七月まで入用。但し一人分の給金扶持雑用ともに、四両弐分ずつ二人分、かくの如し。
〆拾五両七百五拾文
一 高参万五千九百九拾弐石弐斗壱合四勺   高百石に付、弐百拾文壱分
     内
一 五百拾五文             竹下村出し
   酉八月三日                谷村藤十郎   ㊞
                        吉田弥市右衛門 ㊞

※ 水夫(かこ)- 舟をこぐ人。また、船乗り。船頭。(役所にどうして水夫が必要なのかと思うが、金谷島田の両陣屋間の連絡に、人の行き来が必要で、その要員なのだろう。とすれば、役所間では舟渡しをしていたのであろうか。)

因って云う、この時金谷陣屋は今の金谷小学校の前にありしと云う。服部某、代官の手代として、子孫永くこの所に住すと云う。寛政中(1789~1801)、服部子雄あり。源蔵と云う。詩を能くし、考槃亭と称し名声あり。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )