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「竹下村誌稿」を読む 101 質侶郷 1

(頂いた「明治維新の東海道」)

古文書のK先生から、「明治維新の東海道」という、立派な本を、金谷宿大学「古文書に親しむ(経験者)」講座の、受講者全員に頂いた。金谷宿問屋職日誌の影本と解読が2冊になって、一つの箱に収まっている。解読して発行された方から全員に一冊宛、頂いたのだそうだ。古文書解読を勉強している者としては、有難い書物である。読ませていただくのが楽しみである。

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「竹下村誌稿 質侶郷」の解読を始める。

      第三節 質 侶 郷(今、志戸呂に作る)

按ずるに、郷はサトと訓じ郡の下に系属し、奈良朝時代以来の行政区域にして、養老五年(721)調べに、全国の郷数四千十二ありしと云う。和名抄全国郷数を挙げて四千五十とし、遠江国に属するもの、九十一とす。その内、蓁原郡質治郷あり。(この質治の治は侶の誤りなり。次節庄の条参照)この郷字国史に見えたるは続紀元明天皇和銅六年五月の条に、「諸国、郡、郷、名、好(よ)き字に著す」とあるを始めとす。地理志料に、

和名類聚抄、郷 許良切孫愐切韻を云う。人向く所なり。和名、散度(サト)、按ずるに、釋名、里向なり。衆向く所なり。風俗通、里止(とど)むなり。五十家共居止むなり。因って謂う、郷字、里字、並び、散度(サト)と訓ず。蓋し、散波度(サハト)の急呼、散波多(サハタ)なり。度処なり。人多く居止むと謂うなり。日本書記、伊勢物語、並び京師と称す。御里(ミサト)たり。以って証すべきなり。
※ 許良切、孫愐切 - いずれも、漢字の読み方を示した書物。
※ 釋名(しゃくみょう)- 後漢末の劉熙が著した辞典。
※ 風俗通(ふうぞくつう)- 風俗通義とも。後漢末の応劭の著作。さまざまな制度、習俗、伝説、民間信仰などについて述べた書物。
※ 京師(けいし)- みやこ。多くの人たちの集まる所の意。


郷は即ちサトと訓読すべきものなり。しかるに地名辞書に、

郷は和名サトなれども、昔より音読してゴウと云う。即ちクニ、コオリ、ゴウと系属す。

とあり。この郷は孝徳天皇の時、国郡里を定め、国は郡を統べ、郡は里を統べたりしが、元正天皇の時、里を改めて郷となし、郷の下に里を置かれ、国郡郷里と系属す。庄園考に、

郷と云うことの見えしは、和銅の詔(みことのり)ぞ、始めなるべき。古えにありて、里と云いしを後に郷と改めしなり。孝徳の御代に国郡里を定めて、国をもて郡を統べ、郡をもて里を統べたりしを、和銅に至り、郷と云いしが、霊亀に正しく郷字を用いられしより、里と云うを置かれたり。
※ 和銅・霊亀(わどう・れいき)- いずれも年号。和銅(708~715)、霊亀(715~717)。


とあり。
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