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「竹下村誌稿」を読む 109 質侶郷 9

(散歩道のアフリカンデージー)

午後、駿河古文書会に出席した。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

御朱印及び古証文数通、陶家に蔵す。

天正十六年、御朱印に曰く、
遠州志部呂に在留致す瀬戸の者ら、御分国中に於いて、焼物商売(致し)候。(夫)役など御免許成され(候)処、相違有るべからず(候)旨、被仰せ出され(候)ものなり。よって件の如し。
 天正十六後五月十四日   浅井雁兵衛
         瀬戸者等 (御朱印在り。天正、五月の間)

※ 分国(ぶんこく)- 守護大名・戦国大名が領国として支配した国。
※ 浅井雁兵衛(あさいがんべえ)- 浅井道多。戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川氏の家臣。


面々居屋敷、並び作料畠ともに、堪忍分として、遺族間、今度、棹打ちの刻も、これらの旨、申し理(ことわ)るべく候。然る上は公方役懈怠(けたい)なく相勤め、在所に居住、専一なり。
 亥五月三日        内膳正村詮
         やき物師中(豊臣家の横田内膳正より与える文書なり)

※ 堪忍(かんにん)- 経済力。また、生活費。
※ 棹打ち(さおうち)- 竿打ち。江戸時代、間竿 (けんざお) で田畑の面積を測量したこと。また、検地のこと。
※ 公方役(くぼうやく)- 室町時代、幕府によって課せられた夫役(ぶやく)。


(以下三通、東照宮御在城の時、御代官等より来たる所なり。)
伝馬一匹、金谷驛より駿府まで出すべきものなり。よって件の如し。
 戊子(1588)閏五月廿日   浅井雁兵衛、これを奉る。
         右の宿中

※ 伝馬(てんま)- この馬で駿府へ志戸呂焼を運んだとされる。

急度申入れ候。上様御細工仰せ付けられ候間、誰なるとも一人、早々参らるべく候様子、申し聞き候間、頼み参らるべく候。そのため申入れ候、恐々謹言。
 三月十二日              浅喜蔵
         志戸呂かめ山衆まいる、府中より
 猶々 御ほんの様子申し候間、みなみな参らるべく候、以上。

※ まいる(参る)-(この手紙を差し上げます、の意から)手紙の脇付に用いる語。
※ ほんの(本の)- まったくわずかの。


上様へ上(たてまつ)り候、御山椒詰め候御用に候間、壺六つ大賀の藤十郎に渡し申すべく候。つぼのころは藤十郎次第に仕るべく候、以上。
 後六月廿三日             彦九兵衛
         志戸呂の瀬戸物焼七右衛門まいる

※ ころ(比)- ころおい。程度。ほどあい。
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