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江戸繁昌記初篇 57 煨薯 2

(散歩道にやっと見つけた、セイタカアワダチソウ)

かつてはあれだけ隆盛を誇ったセイタカアワダチソウであるが、当地ではめったに見られなくなった。一時はススキなど在来のものを駆逐してしまうのではないかと思われたが、今ではススキの陰にひっそりと咲くのを見るばかりである。「おごれるものは久しからず」とは、植物の世界にもあるのであろうか。

「江戸繁昌記初篇」の解読を続ける。

行脚の僧侶、点心鉢を傾け、無告の乞盲、朝飢(朝の空腹)(ふくろ)を倒(さかさま)にす。数銀一篭、少年輩、譟殺、擔(にな)い去る。これその家の茶番に係る。(佳時慶蓈、遊び明かす会、呼び集まり、茶番と曰う。)四銭の薯、能く稺児の啼くを止め、乃ち、十銭に至れば、また以って、書生、一朝の飢えを医するに足る。
※ 点心(てんしん)- 禅家で、昼食前にとる簡単な食事。また、昼食。
※ 無告(むこく)- 苦しみを訴える相手のないこと。また、その人。(「かないませぬ」とルビあり)
※ 譟殺(そうさつ)- 大騒ぎすること。
※ 茶番(ちゃばん)- 元の意は、客のために茶の用意や給仕をする者。江戸歌舞伎の楽屋で、茶番にあたる下っ端の役者が、手近なものを使って滑稽な寸劇や話芸を演じた。これを茶番、狂言あるいは茶番狂言と呼ばれた。これが一般にも広まった。
※ 佳時慶蓈(けいじけいろう)- よい時、気の合う仲間。
※ 稺児(ちご)- おさなご。


嗚呼々(ああ)噫嘻々(ああ)、恨(うら)めしくは、晩出の故を以って、陳蔡の飢を救い及ばざるを。予、米銭を欠く時毎にこれを食って、命を続けて、頃(このごろ)閩州府志、蕃薯の條を読むに、歌に曰う、珠にして沙(砂)の如くならしめば、人これを以って、鵲(かささぎ)を弾ぜん。金にして泥の如くならしめば、人これを以って、艧(ふね)を塗らん。朱薯(さつまいも)にして、玉山の禾、瑶池の桃の如くならしめば、これを以って、不死の大薬と為せん。
※ 晩出(ばんしゅつ)- 遅く世に出ること。
※ 陳蔡の飢(ちんさいのき)- 孔子が遊説の旅の道中、陳と蔡の国境近くで兵に囲まれ、身動きが取れなくなったうえに、食料が尽きて苦労したという故事。
※ 閩州(びんしゅう)- 中国にかつて存在した州。南北朝時代、陳により設置された。
※ 玉山の禾、瑶池の桃 - いずれも仙境の食べ物。「玉山(ぎょくざん)」「瑶池(ようち)」ともに、神話で西王母の住む所とされる。「禾(か)」は、稲、あるいは穀物。


居士、覚えず一嘆す。因って思うに、冬月と煨薯(やきいも)、科を同じうして、寒素人家の食に充するものを大福餅と曰う。一餅四銭、形大にして、値低し。熱を以って主と為すや。鬻(う)る者、必ず、煖(あったかい)と呼ぶ。乃ち、人の烟を喰う、何郎の汗を拭わざるはなく、梁氏もまた、人の熱に因らざることを得ず。然り。
※ 居士(こじ)- 学徳がありながら、官に仕えず民間にある人。ここでは自分のことであろう。
※ 寒素人(かんそにん)- 質素で、けがれのない人。


而して、近時、餅家の製、精を極め、細を極め、状(形)漸く小に、値漸く貴(高)し。宜(うべ)なるかな。大福、漸く寒素の牙に上らず。且つ、饅頭、羊羹、諸凡の菓子、今また盡(ことごと)く然る時は、則ち、薯か薯か、玉禾、瑶桃の如くならずと雖ども、なおこれ貧人、不死の大薬、嗟乎(ああ)、普(あまね)く天下の貧書生、須(すべから)稽首再拜して食う。
※ 寒素(かんそ)- 清貧な人。
※ 稽首(けいしゅ)- 頭を地に着くまで下げてする礼。
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