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事実証談 巻之三 異霊部7 五輪塔ならぬ橋杭の頭の信心

(散歩道のイトバハルシャギク)

今日は69歳の誕生日である。60代最後の一年の始まりである。祝いは同じ誕生日の孫のまーくんと一緒に、次の日曜日に祝ってくれるらしい。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第18話
豊田郡向笠郷に、向笠伯耆守の屋敷跡と言い伝えし所有り。その所は川沿いの処なるを、寛政元年と言いし年、その辺りを切り開いて川となし、かの屋敷に沿いたる川跡を田畑とせるに、地中より種々の形に造れる石、十ばかり出でしを、皆新たに造れる堤の上に並べ置きしを、何時しか失いて、二段になれる石のみ残れるを、

文化十一年と言いし年の冬、同村七右衛門という者、腰痛み起居なり難くて引き籠れるを、誰かは言い出しけん、新堤なる五輪の片破(かたわ)れに花を奠(たむ)け祈願すれば、萬験(よろずしるし)有りというを聞いて、七右衛門、堤なるかの五輪の片破れに花を立て、洗米など奠けて祈願したりければ、腰の痛み、速やかに平癒せるにより、人皆不審ながらも聞き伝えて、その石に萬(よろず)を祈願するに、まことに験こそ有りつらめ。
※ 起居(ききょ)- 立ったり座ったりすること。立ち居。
※ 五輪(ごりん)- 五輪塔。地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。平安中期ごろ密教で創始され、大日如来を意味したが、のちには供養塔・墓標などとされた。
※ 洗米(せんまい)- 神仏に供えるために洗った米。


そのわたりは更にも言わず、隔(へだた)れる所よりも、詣でる者いと多く、日毎に賽銭五、六貫文に余れども、誰取る者もあらざりければ、賽銭を積み置きて一宇の堂を建立して、片破石を安置したりければ、いよ/\群集(ぐんじゅ)する事、なみ/\ならず。
※ 更にも言わず - 言うまでもなく。


(五輪塔の片破れ、実際は、橋杭の頭)

同十二年の春夏の比(頃)には、はるばると尋ね来て、祈願する者も多かるにより、そのわたりの者、茶店、酒店を出したるに、いと賑いければ、次々に七、八軒、町屋の如く立ち並びたり。かくて夜な/\通夜する者も多かりければ、二間四面の参籠屋を建立(たて)たる比、立ち寄り見しが、その形(上図)の如く、この丈八寸ばかり、周廻(めぐり)およそ尺余りと見えたり。そのわたりの人に尋ぬるに、往昔この所に石橋有りけむを、その橋杭の頭ならんといえる。実に橋杭の頭というべき石のさまにぞ有りける。

さばかり繁昌しつるを、かゝる物は久しからぬ習いにて、幾程もなく音絶えて、たゞ一時の流行(はやり)物には有りしかど、その程祈願するに、そのしるし有りつるは、その時の神の心とは知られぬ。すべてかゝる物の時々に出で来る事多く、その物の流行る比には、その験有るを以って思い合わすれば、神仏なる事はさらなれど、三年に過ぐるは大方無けれど、まれには五年、十年、或は百年に過ぐるもなきにしもあらず。そが中に、いと長き流行物は儒仏の道にぞ有りける。
※ 儒仏(じゅぶつ)- 儒教と仏教。(著者は天宮の神主だから、儒教も仏教も一時の流行りと言い放つ)
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