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松木新左衛門始末聞書16 新斎老死

(庭の大輪のサザンカ)

松木新左衛門始末聞書の解読を続ける。

     新斎老死の事
一 新斎の妻は、下石町三丁目岡村壱郎右衛門という者の娘なり。妻死して後は、久年婬犯を禁じて、人々禁戒を誉むる処に、新斎計らず土蔵の二階へ上りしに、新蔵を守って江戸より付け来たりし乳母、昼寐して居りたる所へ行き懸かりて、これを見、心迷いて破戒し、密犯する事、跡先なく唯一度の房事に、
懐妊して男子出生す。

親類知己大いに悦び、かの養子にすべし、これが貰いたし、ここへ預かるべし、と誉めて持ちはやして、悦喜限りなき処に、新斎は世間を恥じて、面目なきまゝに、これを心苦に持ちて、一年余も他人に対面せず、まことに隠居して、
我れ七十九才にて、三十になるかならざる小女と密通し、男子を拵え、若き女を汚したりと人々の申さん。

また新生を七九郎と名付けし事も、面目有りて万事に叶い、言訳(分)なしと
いえども、我れ七十九にて子の出来たる事、末々の云い出しになるべし。かれこれを思案して、一向こゝろ済まずとて、苦労にするの笑止なる余りに、七九郎は新左衛門が養子となして、日向へ送るべしと諫言し、是非/\と勧むれども、心に叶わず、許諾せず。

※ 諫言(かんげん)- 目上の人の過失などを指摘して忠告すること。また、その言葉。

また乳母は猶々左のごとく責めて、御隠居様悦んで下さらば、長くこの家にあるべきなれども、何を申しても御心に叶わず。さすればこの家に面を賑わして居る事もいやなりと、七九郎を貰い江戸へ帰りたしと、暇を乞うに、これを納得しける。皆うち寄りて、それはなるまじというをも、更にきゝいれず、乳母にあたえて遣わしたり。

新斎はこれに少しはこゝろ休まりたれども、この事にて近頃心気を労し、不快に有りしが、立直らず、段々おとろえ、二三年保ちし処に、日向より早飛脚来て、新左衛門胸痛を煩いて急死なりと。これを聞いて、以っての外に弱りはて、その夜、正徳五年未八月四日、八十五才にて病死なり。またこの病死を日向へ注進として、その飛脚を直ちに取って返させたり。

※ 以っての外 - 予想を越えて程度がはなはだしいこと。また、そのさま。

この凶事折り重なり、不吉の時節到来と申せし由。新斎は神儒に道を崇敬して、正直なる人とかや。新斎葬礼に孫、新蔵は位牌を持ち、息、友野与左衛門は木具の膳に法飯を盛り立て、これを持ち、線香に火を付けて、道すがら口にくわえて、法伝寺まで歩行にて参りしよし。親類、召仕いは髪月代を立派にして、額当などは決して致さずと承る。法名は信西信士と申す。
※ 神儒の道 - 神道と儒教の一致を説いた考え方。
※ 木具(きぐ)- 足付き折敷(おしき)の別名。木具膳(ぜん)。
※ 額当(ひたいあて)- ここでは、死者の額に付ける三角の額烏帽子のことを指す。


一周忌命日は仏事執行有りしよし。前日は神道の祭り有りし由。腥(なまぐさ)料理にて、常の祝義振る舞いの通りなるよし。上下(かみしも)にて給仕し、銚子、を以って盃もありし由。唯存生の通りと承る。
※ 携(ひさげ)- 注ぎ口とつるのある銀・錫製小鍋形の器。
※ 存生(ぞんせい)- この世に生きていること。存命。生存。


(新斎、戒名院号が居士にて有るべきに、信士にて平人なり。殊に信西とするは、西方信用たるにいう事なるべし。さすれば存在中は西方極楽の事は信用せずと見えたり。)

新斎という人は実に愛すべき人柄で、あの謹厳な新斎が七十九歳で子を成したことに、親戚一同が喝采した様子が目に浮ぶ。その子に七九郎と命名したりしながら、世間の評判を気に病んで、六年後に亡くなった。といっても、八十五歳という年は、江戸時代としては大変な長命である。
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