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松木新左衛門始末聞書7 鑑判大風破却、銭青錆

(山芋を機械で摺る/山芋会で)

午後、近所の有志による芋汁会に夫婦で出席した。毎年、この時期に行われ、今年で13回目となる。芋汁は男性陣が2時間ほど早く出て作るのが恒例となっている。山芋を摺るのは昔は下ろし金で摺っていたが、今は機械が登場して最初の摺りは出来るようになった。擂鉢に移してからの作業は、地元出身の人には手際の良さで負ける。いつももっぱら見分役(?)である。

今年は出席が21名で、昨年より4名ほど増えた。芋汁以外にも、各戸で自慢の料理などを持ち寄って、4時過ぎから9時近くまで芋汁会は行われた、毎年お世話を頂く皆さんに感謝である。

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松木新左衛門始末聞書の解読の続きである。

     鑑判(看板)大風にて破却の事
一 醤油の鑑板(看板)を住宅の南西の角に立て、両替町六丁目、安西三丁目の、横町、四つ足町、堤添町などの四方より見え渡りたるよし。その看板を大風の時吹さらい、本通壱丁目へ落ちて、商家の見世と尾垂れを打ち潰し由、筆跡を読みしよりも、噺を聞くよりも、すさまじさ、諸人の目を驚かしたる事のよし。
※ 尾垂れ(おだれ)- 軒先の垂木の木口を隠すための横板。鼻隠し

この看板、長九尺、巾六尺、厚五寸の壱枚板のよし。これは御用木切れ端と申す。八朔荒れと申すはこの時なり。この折、上石町辺りより町内南側の瀬戸屋根へまでを、吹き上げて舞い落し由。寛文、八月十五日の大風以来の暴風のよし。十五日は風は家をも潰し、人も大分死にしたるよし。咄しに及ばれざる大騒ぎなる事、明和、安永に至りては噺し知るもの少なし。
※ 八朔荒れ(はっさくあれ)- 風の厄日の一つ。二百十日前後。
※ 瀬戸屋根(せどやね)-「瀬戸」は「背戸」のことか? 家の裏手の屋根。


八朔嵐の事は、元文年中、我ら江戸へ参りたる時に、当府出生の老女噺したるには、右の鑑判(看板)にて、柱も梁も掛け戸なども、微塵に打ち折りて、家もゆかの表側を打ち潰したるを、見物に参りしとの物語なり。鑑判覆い屋根は、街屋の真中に落ちて有りし由。大きさ八尺四方、黒塗りにて有りしとなり。

     銭青錆の事
一 見世(店)売り場の銭の坑蔵へ投げ込みしよし、銭を買いたきなどいうものありても、小売は仕らず、五拾両か百両かと申して、事大そうに見えけれども、売りたる銭を車に載せ行くを見れば、皆青錆浮きらるよし。銭は早く廻るをもって宝とするを、かくのごとく留め置くは、心得違いのよし、人々申せしなり。

※ 坑蔵(あなぐら)- 地下に穴を掘って,物を蓄えておく所。

「銭は早く廻るをもって宝とする」とは経済の根幹を突いた言葉である。銭を死蔵させてしまうと景気は良くならないことは、現在進行中の日本経済を見ていても良く判る。
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