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松木新左衛門始末聞書22 正月門松、平服のこと

(Iさんの日光奥州街道歩け歩け道中記)

最初のお遍路で、一時、一緒に歩いたIさんから、「日光奥州街道歩け歩け道中記」が今日送られて来た。A4/20枚に小さい写真がびっしりと印刷されている。お遍路の時も、撮影ポイントが調査されていて、自分より何倍もたくさんの写真をデジカメに納めていたのを思い出す。Iさんは、「四国お遍路まんだら」を読んでいただいた方には、「鬼コーチ」といえば思い出してもらえるだろう。中味は、正月にゆっくり見せていただこう。大きな天眼鏡を用意して。

松木新左衛門始末聞書の解読を続ける。

     正月門松の事
一 松かざり、竹は壱尺弐寸廻り、高さ八、九間なるを、元三間ほど枝を払い、中弐間半ほど明けて建て、注連を弐間半ほど上にてかざり、松は高さ三、四尺なる小松を、下枝を払いて竹の元の木口へ突き裁ちて、竹へちょくと詰め付けしよし。これに依って七五三を高くかざり、惣錺りに劣りし小松を立てれば、その家断絶するというて、元文の頃まで両替町壱丁めにては、大いに嫌う。
今は末に成りて、知るものなし。



(家門、祇園守)

     平服の事
一 新左衛門、平生の服、紋は祇園守、替改は丸の内に小文字の山といふ字。黒羽二重ばかり、六、七拾日程も着て、襟垢付くか、かぎ裂きなど出来れば、新服着替えて、その古物は手代、召仕に与えて、洗濯色上して、また一廉の用に立て、費えとせず。
※ 祇園守(ぎおんもり)- 京都東山にある八坂神社のお守りをさす。

よって平日着物の汚れを厭わず。物着あらく、嗜(たしなみ)あしき様に見せたれども、汚れても跡にて召仕に譲ればにあらず、との心なり。帷子は近江晒(さらし)の潰れ浅黄ばかり着て、余布、外の色は一切着ず。
※ 弊(へい)- よくない習慣。
※ 帷子(かたびら)- 裏をつけない衣服の総称。ひとえもの。夏に着るひとえの着物。


七夕八朔も色に構わず、葬礼の供する時には、白の無紋を新たに仕立て着て行き、帰る時には、その衣類は寺へ奉納して、寺より衣装を改めて帰りしよし。
※ 八朔(はっさく)- 陰暦の八月朔日のこと。農家ではその年の新穀を日ごろ世話になっている人に贈って祝った。町家でもこの風を受けて互いに贈り物をし、祝賀の意を表した。

ある町、浅間へ花見に行くとて、新服を着替え、昼飯を喰い、宅を出、社中にて所々に遊山し、また山へ登りて、ここかしこと遊びしに、敷物なし。然るに羽二重の新しき着物を着ながらば、土の上へ安座して遊びしとなり。また昼飯を喰いて間もなく、餠など喰い、その上に赤飯の切飯三拾六、喰いし由。誘われて行かれし噺を承る。
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