平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
小野寺十内の妻丹宛の手紙(後半) - 駿河古文書会
午前中、まーくんの幼稚園に発表会を見に行く。会場いっぱいの人である。年少、年中、年長と、2回入れ替えをするようだから、軽く1000人を越す観客になるのであろう。園児の家族と爺さん婆さんを入れると、まーくん一人に7人の観客となる。外の家族も似たようなものであろう。去年の年少に続いて年中になったが、一年違うと随分成長するものだと思った。
開会の言葉を言う園児3人に入っていたが、自分で手を上げて、じゃんけんで勝って手に入れた役割だった割には声が小さかった。まあ、手を上げた勇気を良としよう。自分のその頃にはない積極性である。合唱、遊戯、言語劇など、12の演目があった。その内、出演したのは二つだった。周りの家族の構えたデジカメを見ていると、どの子が家族の一員なのか、一目瞭然で面白い。
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「妻に宛てた小野寺十内の手紙」の続きである。
ここ元の埒明きたるとの便は、一番に玄渓より告げ知らせ申すべく候。世上の沙汰をも聞きつくろいて、このほども申し入れ候如くの心得を、よく/\めさるべく候。苦しからぬ様子に候わば、十兵衛殿はじめ、金沢どのみな/\、藤助、おろくふたり、善右衛門などへ、よきほどに伝え申さるべく候。十兵衛へわざとひかえ申し候。兼ねても語り申さず下りて、文もやらず候。曲もなきなどゝ思い申さるべく候えども、その段もこの方遠慮の使いを察し給いて御ゆるしたまえと、今まで御心入れ、申し尽しがたく過分にて候。
※ 埒明き - こゝでは討ち入りが実行されることを言う。
※ 曲(きょく)- まがっていること。また、正しくないこと。不正。
何事なき世の中とならば、そもじ事頼み入り候。または、方々の一門中へもかつて通じ申さず候まゝ、右の思わく折りを以って能々御伝え下さるべく候。武義のきずは付き申さず候まゝ、御心安かれと覚え申して、一門中へもその段御申し伝えたまわるべく候。十兵衛殿へはそもじが申さるべく候。
一 貞立様並びおちよ事、そもじへ頼み置き候。貞立様へも、文の通り同じ事に申し上げ候由、申さるべく候。
※ 武義のきず - 討ち入りは決して武門の傷になることではないと考える。
時節近付き、あたりも、めい/\に支度の申し合わせなどゝて、人多くてこの文も夜明けに二階へ上り、よう/\書くゆえ、いづ方へも文も遣し申さず候。
慶安殿、西方寺了賢房へ猶々頼み申し候。立こう院様へ猶々頼み申し候。荷物も一両日中に上(のぼ)せ申すべく候。それには文もなり次第にて候。詠み歌、たんざく遣わし申すべく候。見て慰み給えかしにて候。はや/\人々わやつき、筆をとめまいらせ候。あとの事、頼み入りまいらせ候。 かしく
極月十二日 小野寺 十内
おたんどの
返す/\なきあとにて、京にても定めて、この度の事、一まずとこそ、斯くは書いて遣し申すべく、こゝ元にてもはやその沙汰御座候。末代まで天下に名をのこし書き留めん事、誠の本望これに過ぐべからず、そもじ見てもうれしく思いたまうべきと、せめてそれをそもじへの名のかたみとも覚えたまへかしにて候。この元の左右なきうちは、さたなしにて候。 以上
十内の妻丹は討ち入り後、十内の切腹の知らせを聞いて、食を絶って十内に殉死する。一説には自刃したとも伝わる。
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