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同級生N氏の訃報に言葉も無し

(アメジストセージ - 片雲さんから頂いた株を裏の畑の隅に植えて置いたら、大きな群落になって咲いていた)

今朝、送られて来た同窓会の会報を、何の気なしに見ていたら、最後の訃報の欄に、高17、N氏の名前が出ていた。えええー、と声を上げた。高17は旧制中学から新制高校になってから、17期目の卒業ということで、自分たちの所属した学年である。あの一番元気であったN氏が亡くなったことが、いまもって信じられない。

N氏は高校時代に同じクラスになったことはなかったけれども、小学校の高学年では同じクラスであった。今も、小学校5、6年のクラス同窓会は2、3年置に行なわれている。今は、そこで時々逢うだけの付き合いだった。その同窓会で久し振りに会った時、彼は女子大の英文学の先生になっていて、若い女性たちに囲まれている写真を皆んなに見せびらかして、男性たちを、大いに羨ましがらせていた。

少しづつ老いに向かっている同級生たちの中で、N氏は生き生きと楽しいときを送っているように見えた。一番元気で、バイタリティに溢れているように思えたN氏が、最初に逝ってしまうとは、大きなショックであった。

大学生のときは落研に入っていて、何時だったか、その落語を聞いたことがあった。演目は無難にこなしていたが、もう一つ馬鹿になりきれない点が、彼の落語の限界なのだろうなどと、批判的に聞いていたことを思い出す。

大阪のYOOさんに久し振りに電話をした。N氏の訃報のことを話すと、初めて聞くと驚く。実は、YOOさんは時々コメントを書いてくれていたが、前回の小学校の同窓会に、帯状疱疹をこじらせて、出席できないと言って来てから、音信不通になっていた。帯状疱疹は治療が遅れると命にも関わるといわれ、その後どんな様子か、心配していた。気になるなら電話を一本入れればよいのだが、ずるずると日が過ぎていた。

N氏の訃報を伝えるついでに、YOOさんの近況も聞きたいと思った。奥さんが出て、本人に代わるまで、少し時間が掛かった。声に変わりがなくほっとしていた。帯状疱疹では、痛くて1ヶ月寝込んだと話す。幸いに後遺症も無く回復したようで、最近、脚光を浴びている箸墓古墳を見に行ってきたと話す。大和路を歩く計画を早く具体化して、一度大阪にも行ってきたいと思った。お互いにいつ訃報が舞い込んでも不思議ではない年代に差し掛かっている。N氏の訃報はそのことを如実に伝えている。

YOOさんへ電話した後、ふるさとのK氏へ電話した。K氏はふるさとにいて、同窓会を企画してくれている。訃報を伝えると、K氏も初めて聞くといい、言葉を失っている様子であった。高校の同窓会会報で見ただけで、いつ、どうして亡くなったのか、詳細は判らないと話すと、情報を集めてみる。何か判ったら連絡をくれるという。
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