今、冗談で、日本国中の理系頭が集まっているのではないかと言われているT町。
このT町ですが、お昼時ろくな飯処がない。まったくない。少しはあるが高くてまずい。
少ないものだから値段を釣り上げても、まずくても、近場にあまりないので、選択肢の少なさにかまけてろくでもない飯を食わせてぼろもうけしている店が少しあるだけ。
あとは、道端に点々とある弁当屋。お昼時になると、弁当屋がいたるところに軒を出す。相場が500円だから高くはない。
仕出し弁当屋はビルの中の労働者をコンスタントな客にするのでこれまたぼろい仕事だ。
近くにある区役場のほうがもう少し安かったりするが、これまた食えた代物ではない。
まわりは、味のわからない、味に興味のない、油に興味のない、理系頭だらけだからまずい昼飯屋にとっては格好の儲け場所と言える。何しろまずいとかうまいといった観点を持ち合わせていないのでこれほどの適所はない。
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とにかくこのT町は飯に関してはどうしようもない街だ。地元の人間が昔F高の頃、何人かで、タクシーで別の街で昼飯を食い、帰りは地下鉄で戻ったという話を聞いたことがあるが、ちっとも大げさではない。
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それで、常日頃から昼飯に関しては2万パーセント諦めているので、投げやりにどこで食ってもいいのだが、マックのメガたまごを横目で見やり隣のチャイニーズにはいった。
たのんだのは、
半チャンタンメン。
つまり、レギュラーサイズのタンメンとチャーハンが半分。850円。
タンメンの量が多いのでかなりのボリュームだ。
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すぐにできる半チャンのほうが先に出てきたので、一口食べる。仕事のしすぎで腹が減っているので、なんでもうまい。
それで、二口目を口に含む。ちょっとあまいなぁ。砂糖をちょっといれすぎてるのかな。
三口目。うーむ。確実にあまい。でも砂糖ではないなぁ。
四口目。なんか変だぞ。ザラザラネバネバ。
と思っているうちにタンメンがきた。まずスープをすする。これはそこそこうまい。野菜が油っぽいすぎ。ではあるが、なんとか食える。
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タンメンスープをすすったそのスプーンで、五口目の半チャンを食べる。
なんじゃ、この味。これは化調ではないか。それも筆舌に尽くし難いほど多量の化調だ。
中国人と思しき夫婦(と思われる)がやっているお店で、安心して食べ始めたのだが、なんじゃい、この化調の山は。。
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気持ちが悪くなってきた。とてもこれ以上食えない。タンメンのスープだけいただいて、そのまま出よう。でも、なんだこのタンメンのスープ。これも変だぞ。これも化調じゃい。。
ああ、気持ちが悪い。
足早に出た。
近くにあるタリーズまでかけっこしてはやくコーヒーでうがいをしたい。
でも、走っている間に、喉の奥にねっとりとまとわりつく化調、口の中全体にヒリヒリベトベト感があり、ああ、どうしようもない。
コーヒーでうがいをしても、水でうがいをしても、この耐久性は高能力だ。ああ、まいる。。
とにかく気持ちが悪い。吐き気だ。やばい。
アルコールで毒素を流したい。でもまだ昼時だ。どうしよう。早退かな。
などと夢想が夢想をよび、耐えがたきを耐え、持ちこたえたが、結局夜中までずっと気持が悪かった。
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これが正真正銘の化調の後味。これを反面教師にしよう。この際、しっかりとこの味を脳裏に刻まなければならない。これを忘れず、銀座のお店に通わなければならない。
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それにしても、だ。このT町。昼飯、なんとかならないものか。このチャイニーズだけでなく、和ものから洋ものまで、まんべんなく、まずくて高い。
寿司屋もあったりするが、チェーン店で、カウンターに座ると、さばいている魚の血の匂いがただよってきて、とても気持ちのいい店だ。金払うから、お願いだから、食う前に店を即刻、出る。
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そもそも理系頭というのは、外部の美しさに興味がない。
自己のなかにある美意識、自己陶酔、理論、屁理屈に酔う妙な生き物。
だから外部のものを育てる、感動する、感想を言う、といった表現が出来ない。
植物、魚、動物といった対象の名前もろくに覚えられない。興味がないのだ。
逆に内なる自分を育て、自己陶酔し、いかに変な結果になろうとも、小理屈に小理屈を重ね上げ自分の中では全てが説明がつくのだ。
このような現象は外から見るとたまに、変、と言われている。
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反面、文系頭は、自己陶酔はデフォルト・バリューというか、ごく自然なものであり、外なる対象への関心が強く、ときとしてデリカシーに富む。
現象に対する意識の強さ大きさウエイトが理系頭とは異なる。
理系頭のような末梢神経が極度に肥大化したような変なところはないが、感度の位置が異なっていると思うときもあったりする。
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いずれにしても、食にうるさい文系の連中が半分でもいれば、街の食文化も大いに変わっているものと思われる。
つきあうなら文系だ。
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