2009-2010年シーズンから、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督になるアラン・ギルバートはたびたびN響を振っている。
ニューヨーク・フィルハーモニックに行ってしまうと簡単にはN響を振ることもなくなるだろうと思われるので、今のうち聴いておこう。
12月N響定期のAプロとCプロを振っている。
Cプロは聴き逃せない。
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2007年12月8日(土)3:00pm
NHKホール
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ベートーヴェン/序曲コリオラン
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番
ピアノ、サイモン・クロフォード・フィリップス
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マルティヌー/交響曲第4番
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アラン・ギルバート指揮
NHK交響楽団
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前半と後半が明確にわかれたプログラム。
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N響は指揮者次第のオーケストラの部分がある。
技術的な面では誰が振っても一定のレベルは保つだろうが、音楽的感興の部分においては、本当に指揮者次第だ。
相性がいい指揮者になると俄然いい音が出てきて、音楽の盛り上がりも並ではない。
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この日のマルティヌーの素晴らしさは何物にも代え難いものとなった。
マルティヌー特有のミニマル風な細やかな音楽と、ジャジーな雰囲気でシンコペーションの山と化した音楽が、うまく混じり合い強烈な盛り上がり、最終局面で複雑にしてエキサイティングな音楽をギルバートは完璧に表現した。ちょっと重かったけど。。
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コントラバスを左に配し、第1,2ヴァイオリンを分けた。
右中声音のヴィオラの響きは青白く揃い見事だ。
それにこの配置のせいかどうか、コントラバスの響きが効果的だ。
弦のうしろに当然配置されているウィンドのアンサンブルがこれまたマルティヌーの8,16分音符をもののみごとにアンサンブルしており、特有の短いフレーズも印象的。
第4楽章冒頭のウィンドのあやを聴けばその見事さに呆れかえるのは簡単だ。
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第1楽章の不確定な音の響きに慣れない人たちは、いつまでも自分の耳を弄りあうしかない。
音楽の始点、力点がどこにあるのかいまひとつわからない部分があり、聴く方としてもこの種の音楽に対して得手不得手があって当然だと思う。
音の響きが2層化しているといった意識で聴くとよく理解できる。
第2楽章も同じような響きで進む。
第3楽章のラルゴは結果的に情緒性に富んでいるのであって、鳴っているその瞬間の音楽の作りというのは、あくまでもマルティヌー独自の構造で進むと考えた方がよさそうだ。
第4楽章の自然な盛り上がりはかなりエキサイティング。
第3楽章とのポーズのタイミングで、最前列から駆け足で出て行った男客がいたが、あれは何を考えていたのか、是非ご本人に訊いてみたいところだが、それはそれとして、日本人特有の駆け足は外国人には焦りとか危機意識として反映されるところであり、また馬鹿なことをしたなぁなどと思いつつも第4楽章への前奏としてはなんとなく雰囲気あっているなぁとも思った。戦争が終わってもまだ走り続けている日本人のおかしげな姿が、曲に向かう姿勢を逆に冷静にさせてくれた。
その第4楽章は、最初に書いたとおりの音楽であり、複雑に盛り上がり続け突然終わる。
ここにきてはじめてこの音楽の素晴らしさを理解する人もいるようだ。
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アラン・ギルバートの棒は動きは結構あるのに派手ではない。音楽のみを表現しようとしている。
どのような練習なのかわからないが、相当量の練習をしていなければ、あの棒の振りからこんな素晴らしい音はでてこない。
ただ時折、4拍目を左回りに省略して振ってしまうことがあり、粗末な棒にみえたりする。あれはたしなめなければならない。
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前半のベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲は、ピアノのサイモン・クロフォード・フィリップスの音が快活というか、軽いというか、そのような傾向の音であり、N響の腰の重い音とは正反対であり、このように逆方向の性質の物体同士でも一緒に音楽をやらなければならないのは正しい選択ではない、と思わせてくれるに十分だ。
コンサート冒頭の曲はコリオラン序曲。ギルバートの特徴が最初から出る曲だ。また、よくやられているような気がしながら生演奏では案外聴いたことがなかったりするので、このようにしてプログラムの最初に置いてくれることはいいことだ。そして思ったとおりのサウンドで響いてくれた。
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