のちに演出も手掛けることになったドミンゴの妻マルタは、浮気性のプラシドに言った。
●
プラシド、あなたが犯した誤りを素直に認めれば私は何も言わないわ。
ただ一言だけよ。
目には目を、
歯には口全部を、
ということを忘れないでね。
●
ゲに恐ろしきは言葉なり。
人間界然り河童界然り。
言葉以上に効果的なものはありません。
.
プラシド・ドミンゴの殺人的なスケジュールは、安定した家庭なくしては成り立たない。
でも、
殺人的なスケジュールのなかにあっても、いや、だからこそ、あちらこちらですぐにハートに火がつくのかも。
舞台人、芸人というのは、お堅い仕事と異なり、舞台がひけて、気の合った彼女と二人でどっか食事に行ったりしても、まわりは別に黙認の意識すらなく、エンジョイしてね、みたいな感じで軽くさらっと受け流す文化がある。(日本の幼稚園の学芸会のような目に余る五流の似せ芸能人のことではない)
.
意気投合した二人が緊張感から解放されるプロセスは、まわりのみんなが知っているし、自分たちも同じようなことをしている。
それに、有名人ともなれば、ジェット機で週に2回アメリカとヨーロッパを往復などということもあり、早い話が家にいないわけで、怖い妻がチェックしているわけでもないのだ。
だから、芸術の高さとは別に、あのてのことは、ゆるむ。
そして、彼らは基本的に当地で、もてる、わけさ。
.
でもプラシドの場合、これは芸術的レベルの維持と表裏一体であった。
表が立つにはしっかりしたバックボーン、安定した家庭がなければならない。
安定した家庭があってこその浮気性なんですね。売れっ子芸人のサガ。(恥ずかしくもなくテレビで学芸会ゴッコをしている日本の七流の似せ芸人のことではない)
結局、彼らは別れられない。
.
ということは、彼なりの葛藤があったのだろう。
人生の喜びをどこに見出せばいいのだろう。
野望は全て手に入れた。
指揮はいま一つだったけれども、芸術監督になって集金マシンには比較的簡単になることが出来た。
でもそんなことは余計な才能の浪費でしかない。
一人の才能が同じ時間にパラレルに現出することが可能ならば。
彼の活躍は、思い起すと、そのようなことをふとイメージさせるに十分なものであったのかもしれない。
おわり
.
注:冒頭の引用は、デイリー・テレグラフ誌(ロンドン)のインタビュー
I am hurt for my family