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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

文心雕龍 : 卷二 : 銓賦 - 中國哲學書電子化計劃

2016年12月06日 | 東洋史
 http://ctext.org/wenxin-diaolong/quan-fu/zh

 賦者,鋪也,鋪采攡文,體物寫志也。

 とあって、つい笑ってしまった。「賦とは鋪(なら)ぶる也」とはよく言ったものである。彩(あや)を鋪べ文(ぶん)を攡(つら)ね、物を体(かたど)り志を写す也。
 つまりそれは理屈を述べるためのものではないといっているのである。この世の事物(おもに物だが)を描写し、おのれの感慨を陳べるものであると。それは、モノとココロのひたすらの羅列といってもいいかもしれない。そこでは叙述が秩序だっていることすら理屈のはからいだとして必要とされないのではないか。現実の作品を見ているとどうもそう思えてならない。この“理屈”がどういうものであるかは、また別の問題となる。

久保朝孝編 『王朝女流日記を学ぶ人のために』

2016年12月05日 | 文学
 テキストを読むという、その方法論を学ぶために。できればテキスト作者の性差によるその差異の有無も含めて確認したかった。結果としては、これは学ぶべきだというところと、それはどうかという部分とがあり。「なるほど、そうやって、そこまでやる、やれるのか」という部分と、「それは客観的に裏付けできない、ちょっと主観的にすぎないか」と思わされる部分と。性差による方法論の違いはなさそう。というより、このアプローチでは差は出てこないだろう。性差を想定していないやりかたである。それともあるいは、分析の対象が女性であることを前提としたうえでの方法論なのかもしれない。ではこれで『土佐日記』を、どう捌くだろうか。興味がある。

(社会思想社 1996年8月)

杜牧  「隋宮春」

2016年12月05日 | 文学
 龍舟東下事成空
 蔓草萋萋滿故宮
 亡國亡家爲顏色
 露桃猶自恨春風

 第三句転句の顔色は、(美しい)容貌の意味だが、これは美女の比喩だと解釈する向きがある。本当だろうか? 比喩だとすると隠喩もしくは提喩になるが、どちらか。そもそも比喩と考えないでも「美貌」で通るのだが。だいいち漢語(古代漢語)の転義法に隠喩は措いて提喩synecdocheがあるかどうかわからない。すくなくとも私には確信がない。

笈川博一 『古代エジプト 失われた世界の解読』

2016年12月05日 | 東洋史
 出版社による紹介

 古代エジプトの宗教文書に残る伝承や神話が、相互に矛盾する内容のテキストがその内部世界――たとえば『死者の書』――で共存していることについては、私にとり加藤一朗氏の『象形文字入門』(中公新書1962/11初版)を読んで以来の疑問なのだが、笈川氏はこの書で、各地から収集された時点で、すでに提出者にも収集者(いずれも神官)にも、理解できなくなっている古い時代のものが存在し、それらが理解できないままにその通り記録されたのだろうという解釈を、一つの(部分的な)回答として与えておられる。ただ彼らがその結果としての矛盾になぜ平気だったのか(どれかを正本とし残りを削除するあるいは折衷してあらたなテキストを作るということをしなかった)のかについては、これで完全な答えが得られたというわけではない。

(講談社 2014年9月 もと中央公論社 1990年8月)

深谷さんの『東アジアの法文明圏の中の日本史』と「史論史学」(2013年1月24日) 『保立道久の研究雑記』

2016年12月05日 | 日本史
 http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-112e.html

 CiNiiが動かなかった(12月3日―12月4日にかけて)ので、Googleで同書の書評を探したところ、氏のこの文章に出会った。以下部分を引用。

 とくに私にとって、今でも外せない論点は、あの頃の深谷さんが、峰岸純夫氏の議論をうけて、「東アジアの共通分母」、東アジアの社会構成における共通性としての『地主制』という議論を展開したことである。
 しかし、この論点を深谷さんは封印されたらしい。去年、峰岸さんの著書の書評をした時、記憶にのこっていた文章を、深谷さんの著作集で確認しようとしたが、深谷さんの「地主制」論は、以前の著作でも、今回の著作集でも削除されていることを知った。もちろん、今回の『東アジアの法文明圏の中の日本史』でも「東アジアの共通分母」という問題意識が中心的なものとして維持されていることはよく分かるが、しかし、深谷さんは、本書でも「地主制」論にふれることはない。今度、久しぶりに御会いする機会もあるので、この点、今はどう御考えなのかを聞いてみようと思う。

Zou Yan (鄒衍)- Wikipedia を読んで

2016年12月03日 | 東洋史
 https://en.wikipedia.org/wiki/Zou_Yan

 Zou Yanは、鄒衍、あるいは騶衍、のこと。
 文中、『史記』巻74「孟子荀卿列伝」にある“通谷”をconnecting valleysと訳してあって、これで一気にまともに相手をする気が失せた。

 騶衍睹有國者益淫侈,不能尚德,若大雅整之於身,施及黎庶矣。乃深觀陰陽消息而作怪迂之變,終始、大聖之篇十餘萬言。其語閎大不經,必先驗小物,推而大之,至於無垠。先序今以上至黃帝,學者所共術,大并世盛衰,因載其禨祥度制,推而遠之,至天地未生,窈冥不可考而原也。先列中國名山大川,通谷禽獸,水土所殖,物類所珍,因而推之,及海外人之所不能睹。稱引天地剖判以來,五德轉移,治各有宜,而符應若茲。以為儒者所謂中國者,於天下乃八十一分居其一分耳。中國名曰赤縣神州。赤縣神州內自有九州,禹之序九州是也,不得為州數。中國外如赤縣神州者九,乃所謂九州也。於是有裨海環之,人民禽獸莫能相通者,如一區中者,乃為一州。如此者九,乃有大瀛海環其外,天地之際焉。其術皆此類也。然要其歸,必止乎仁義節儉,君臣上下六親之施,始也濫耳。王公大人初見其術,懼然顧化,其後不能行之。 (テキストは『中國哲學書電子化計劃』による。下線は引用者)

 「名山大川」ときて「通谷」とくれば、名山(高い山)、大川(幅広い河)、通谷(険しくて深い谷)だろう。その物の規模と程度の話なのだから。それより重要なのは、山・川・谷という自然の景観・地理と、生物である禽獣とを並列していることだ。名山大川と通谷禽獣とが対句に、さらには通谷と禽獣とが連なって、一句を為している。名山と通谷はよいとして、大川と禽獣が照応している。いささか奇異な感を抱く。そうは思わないか、諸姉諸兄。

杜牧「江南春」の“多少”の語について

2016年12月03日 | 思考の断片
 杜牧  江南春

 千里鶯啼綠映紅
 水村山郭酒旗風
 南朝四百八十寺
 多少樓臺煙雨中


 この絶句をいま白文で卒然と読んで、最後の“多少”は疑問詞ではないのかと疑った。
 高校で習った以来の訓読では、「多少の楼台煙雨の中(うち)」、すなわち平叙文として、「多少」を「多くの」という意味に取っている。
 そこで、先日購って積読にしていた松浦友久・植木久行両先生編注の『杜牧詩選』(岩波書店 2004年11月)をさてこそと披いてみた。
 「江南春」は劈頭の第一首である。同首のくだんの第四句結句は、「多少の楼台煙雨の中」と、訓読こそ同じながら、現代日本語訳では、「どれほどの数の楼台がおぼろに霞んでいることか」と、疑問文に解してある。ただしその後の語釈では、この「多少」について、

 疑問詞『どれくらいの』が基本義であるが、ここでは派生義としての『多くの』のニュアンスをあわせもつ。

 とあって、そうかと教えられた次第。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

『日本語学』 2016年9月号

2016年12月02日 | 人文科学
 出版社による紹介

 金文京論文「中国古典文学研究と漢籍データベース検索」と石井公成論文「仏典漢訳の諸相」とを読む。
 ①金論文。PC検索の利用は弊よりも利のほうがはるかに大きいとのご意見。ただし、「検索の前に注意深い読書と正確な読解力が必要であることは言うまでもない」(8頁)。シャーペンを買って貰った昭和40年代の小学生みたく新しい道具を手にすれば己の頭までよくなったと勘違いする向きとは、やはり一線を画している。
 ②石井論文。竺法護訳『正法華経』で「月」が原文にないニュアンスと連想に基づく比喩として訳されていること(誤訳)に注目している。「竺法護の母国では月を畏怖する習慣があったのかもしれない」(49頁)。直喩、暗喩のパターンは文化によって異なるという指摘。

(明治書院 2016年9月)