羅景文 「潘佩珠及其漢文小說之研究」 2016年12月23日 | 哲学 http://handle.ncl.edu.tw/11296/ndltd/13884398140814022708 面白かった。潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の漢文(漢語。彼にとっては外国語になる)の文体に関して分析と評価がなかったのは、それを期待して入手した私個人的には残念だが。
James B. Lewis, ed. "The East Asian War, 1592-1598 : international relations, violence, and memory" 2016年12月23日 | 哲学 論文集。全体の'Conclusion'が、"Lest we forget, the war began because the Japanese invaded Korea."という1文で始まる(p. 378)。ある論考は「義軍」をrighteous armiesと訳す(p. 159)。
『淵鑑類函』巻50 「帝王部 体仁」を読んで 2016年12月23日 | 東洋史 「仁とは~である(する)ことである」「~である(する)ことが仁である」といった実例もしくは結果は、いやと言うほど列挙される。しかし「~が仁である」という本質もしくは原因(形相因)は、まったく示されない。橋本萬太郎先生の言葉を借りれば、いいかえは、いたるところにある」が、「『仁』という概念を定義していない」。橋本萬太郎「ことばと民族」(『民族の世界史 5「漢民族と中国社会」山川出版社1983/1所収)、同書138頁。
佐藤正幸 「西洋史学はディシプリンか 母国語による近代化の上に成立した世界的にユニークな学問」から 2016年12月23日 | 抜き書き 『西洋史学』260(2015年)掲載、同誌42-55頁。 理論は自分がつくるものではなく、「西洋から来るもの」という考えが支配的であったため、自前の歴史理論専門家など必要ないと考えていたようである。基本的にはこの発想が現在でも続いていると言える。 (「4 日本において歴史学はディシプリンとして扱われているか」 46頁)