出版社による紹介。
面白い。まず文言文と白話文の区別をしないところが面白い。新渡戸稲造の『武士道』を読んでいるかのようである。
次に、地口の類い(「品詞転換と返源及び蔵語としゃれ」)や、漢字を分解するほかの文字遊び(「拆字と拆語及び釈語と析語」)を、中国語における正規の修辞技法の一つとして数えているところが、面白い。
さらに、ああいえばこういう式の減らず口や、その場しのぎの言い逃れ(「頓跌と曲説」)も、また無知ゆえのあるいは論点ずらしをするためのわざとな誤用と知ったかぶりのマラプロピズムやデタラメ(「擬誤と存誤」「象嵌と偏取」)も、立派な修辞技法だとして数えているところが、とても面白い。
だが一番おもしろいのは、弁証法を学ぶことが言語学ひいては修辞学を学ぶうえで最も大切と総括しているところだ(「結語 修辞学と弁証法」)。
(好文出版 2016年3月)
面白い。まず文言文と白話文の区別をしないところが面白い。新渡戸稲造の『武士道』を読んでいるかのようである。
次に、地口の類い(「品詞転換と返源及び蔵語としゃれ」)や、漢字を分解するほかの文字遊び(「拆字と拆語及び釈語と析語」)を、中国語における正規の修辞技法の一つとして数えているところが、面白い。
さらに、ああいえばこういう式の減らず口や、その場しのぎの言い逃れ(「頓跌と曲説」)も、また無知ゆえのあるいは論点ずらしをするためのわざとな誤用と知ったかぶりのマラプロピズムやデタラメ(「擬誤と存誤」「象嵌と偏取」)も、立派な修辞技法だとして数えているところが、とても面白い。
だが一番おもしろいのは、弁証法を学ぶことが言語学ひいては修辞学を学ぶうえで最も大切と総括しているところだ(「結語 修辞学と弁証法」)。
(好文出版 2016年3月)