テキストを読むという、その方法論を学ぶために。できればテキスト作者の性差によるその差異の有無も含めて確認したかった。結果としては、これは学ぶべきだというところと、それはどうかという部分とがあり。「なるほど、そうやって、そこまでやる、やれるのか」という部分と、「それは客観的に裏付けできない、ちょっと主観的にすぎないか」と思わされる部分と。性差による方法論の違いはなさそう。というより、このアプローチでは差は出てこないだろう。性差を想定していないやりかたである。それともあるいは、分析の対象が女性であることを前提としたうえでの方法論なのかもしれない。ではこれで『土佐日記』を、どう捌くだろうか。興味がある。
(社会思想社 1996年8月)
(社会思想社 1996年8月)