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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

"Fiat justitia ruat caelum." (2)

2011年12月18日 | 思考の断片
 2011年01月22日「"Fiat justitia ruat caelum."」より続き。

 ふと、「天が崩れ落ちても正義あれ」の“正義”とはなんだろうと思って「Wikipedia」の同項をあらためて見なおしてみる。
 まずこれは古典(つまりローマ時代の文献史料)には見えない言葉だそうである。
 ついで、Piso's justice のごとく、「悪法も法である」という意味もある由。
 もともと出所不明の、おそらくは近代(17世紀?)になってから作られた言葉だから、原義などないのだが。だから「結果がどうなろうと正義は貫かれねばならない」というジム・ギャリソンの使い方も決して間違いではない。むしろこちらの使い方のほうが多いのではないか。映画『JFK』(1991年)での扱われ方を見る限り。

「My Lai massacre: horrible memoirs」

2011年12月18日 | 現代史
▲「VietNamNet」17/12/2011 02:00:00 PM (GMT+7)。
 〈http://english.vietnamnet.vn/en/special-report/16327/my-lai-massacre--horrible-memoirs.html

 たしかにあったことは非難もできるし後悔もできるが、あったかどうかさだかでないことは、できない。あったとしても、それが組織的なものだったか個人的あるいは偶発的なものだったかを見極めないといけない。そうでないとまた同じことを繰り返すことになりかねない。これをなおざりにしてただ相手を責める、そしてとりあえず謝るのは、一時の快を貪って将来のこと(おのれの子孫を含めた国家と社会の。被害者・加害者ともに)を、本当には考えていないと言われても仕方がない。――日韓の従軍慰安婦問題を念頭に置きつつ。