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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宇野精一/中村元/玉城康四郎責任編集 『講座東洋思想』 4 「中国思想Ⅲ 墨家・法家・論理思想」

2011年12月08日 | 人文科学
 西洋の思想と中国の思想とを比較するとき、その思想を構成する西洋の論理は、物から物を引出す(一般から特殊を、特殊から一般を引出すがごとき)論理で、物相互間に何らかの密接な関係があるのが一般であるのに対して、中国の論理は物と物とを結び付ける(という非論理的な)論理であると言えよう。比喩が多く用いられるのも、一つにはここに由来している。 (「第三章 論理思想」、天野鎮雄執筆「第三節 析・恵施」「五 恵施の論理」 本書280頁)

 比喩がよく用いられるのではなく、比喩そのものが論理として説得力を持っているということではないのか。有名な矛盾の故事も、だから矛と盾の段階で納得されてしまうのではないか。分析思考がなく、あるのは直感と頓悟だけであるとすれば、それで当然であり、せいぜい同意語によるいいかえが為されれば論証は完璧となるのであろう。

(東京大学出版会 1967年3月)

「群大教授暴言『福島の農家はオウム信者と同じ』」

2011年12月08日 | 
▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2011年12月8日19時36分。(部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111208-OYT1T00946.htm

 同大によると、問題になったのは「セシウムまみれの水田で毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者と同じことをしてる」「福島の農家が私を殺そうとしている」などの書き込み。6月以降、再三注意したが改善されなかったという。
 早川教授は8日、記者会見を開き、「放射能の危険性を多くの人に迅速に伝えるために、あえて過激にした。処分は学問の自由を奪う行為で、大学の自殺」と批判した。


 これで通ると思っているのだろうか。サリンを製造所持したり撒いたりするのは、違法であって立派な犯罪だぞ。一方米作りのどこが違法か。
 オウム真理教繋がりで思いだしたが、これは擁護派で立場は逆になるが、中沢新一という人は、坂本弁護士一家失踪事件に関して、「自分が創価学会をはじめとする宗教団体に調査した結果、どこの宗教もオウムの仕業じゃないと言った、別の組織によって八丈島へ連れて行かれて、もう埋められとる」と聴衆に向かって発言したが、講演の後で取材にやって来た新聞記者にそのことについて聞かれると、「ウソに決まってんじゃん」と答えたという(注)。この仁も、それで通ると思っていたのだろうか。
 双方すこしく意味は違えどどちらも無責任としかいいようがない。

 。『別冊宝島229』(1995年8月)での小林よしのり氏証言。テリー伊藤氏との対談「対決!お笑いオウム真理教」において。同書135頁。

「VN, China boost co-operation in ethnic affairs」

2011年12月08日 | 地域研究
▲「Nhan Dan Online」11:57AM (GMT+7), Thu, December 8, 2011.(部分)
 〈http://www.nhandan.com.vn/cmlink/nhandan-online/homepage/politics/external-relations/vn-china-boost-co-operation-in-ethnic-affairs-1.324546#eRHFluGP8LFa

  National Assembly Vice Chairwoman Tong Thi Phong received a visiting delegation of the Ethnic Affairs Committee of the National People’s Congress of China, led by Vice Chairman Lie Que, in Hanoi on December 7.

 それが勉強不足のせいであるのは明らかだが、ベトナムの政局は、「どうして?」「なぜ今?」と理解に苦しむことが多い。この記事などは後者の場合である。
 9月にベトナムを訪れて、ランソンの友誼関を通って中国側の憑祥市(広西チワン族自治区)へ抜けてまた帰ってきた時のこと、ハノイとの往還の道すがら、周囲の田畑にまさに伝統的な少数民族の衣装で日々の農作業にいそしんでいる人々を見て――もちろん全部がそうというわけではなかったが――、感動した。ランソンからあちら(広西チワン族自治区)の間付いてくれたガイドは、ベトナム国籍のヌー族の人だった。ベトナム人の車の運転手とはベトナム語で、私や中国側の通関職員とは中国語(普通話)で話をしていた。「もちろんヌー語も話せます」とのことだった。

「ハノイランドマークタワーでは国旗掲揚禁止?」

2011年12月08日 | 地域研究
▲「VIET JO ベトナムニュース」2011/12/08 13:19。(部分)
 〈http://www.viet-jo.com/newsallow/social/111208101253.html

 〔ビルの投資主である〕京南ビナが発行した内規集には、「住民はビルの外側または共有区域に告知看板、広告看板、国旗を設置してはならない」という規定があるという。

 どうしてだろうね。

 住民代表委員会は、祝日の国旗掲揚は愛国心を表すもので共産党や政府の方針に沿ったものだとして、国旗の掲揚ポール設置を認めるよう地元人民委から京南ビナに求める事を提案している。

 住民側がこのことを持ち出したのは、あるいは管理費闘争における駆け引きの一環にすぎないなのかもしれないが、それを差し引いても面白い。

「侮蔑発言 女性の怒り 那覇で抗議集会」

2011年12月08日 | 政治
▲「沖縄タイムス」2011年12月8日 09時42分。(部分)
 〈http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-12-08_27035/

 田中聡前沖縄防衛局長の侮蔑発言と米軍基地の押しつけを許さない「女たちの抗議集会」が7日、那覇市の教育福祉会館であった。参加者約300人(主催者発表)が、発言に抗議し名護市辺野古への基地建設の撤回を求める文書を採択した。首相や防衛相、米国大統領ら7氏に送付する。

 問題の発言自体の信憑性に疑問符がつくこともあってか、「女性への侮蔑発言」でないのはその関係か。今更だが、「沖縄防衛局長、女性誹謗で更迭へ 辺野古アセスで」の際の「なぜ女性蔑視と決めつけてるのか」というコメント子の慧眼に、あらためて敬服。

「去る10月南アフリカのダライ・ラマ14世に対するビザ発給拒否は、中国との関係悪化を懸念してのこと」

2011年12月08日 | 地域研究
▲「国之声(DW-WOPRD.DE)」2011.12.07、来源:法新社 编译:苗子 责编:乐然「南非拒签达赖喇嘛 担心危害对华关系」(部分)
 〈http://www.dw-world.de/dw/article/0,,15584832,00.html

  南非一名高级官员承认,阻止达赖喇嘛10月参加图图大主教80岁生日庆典,是为了保护与中国重要的贸易关系。
  据法新社报道,南非内政部秘书长阿普莱尼(Mkuseli Apleni)在一份法庭宣誓书上表示,就西藏精神领袖达赖喇嘛的签证问题,他向内政部长提出的建议是,不要危害与北京的关系。〔中略〕内政部秘书长阿普莱尼在法庭证词中说,他建议政府考虑与中国的贸易关系。/中国是南非最大的贸易伙伴。今年上半年,这一非洲最大经济体对中国的出口额为49亿美元。〔中略〕此外,中国邀请南非加入金砖四国(巴西、俄罗斯、印度、中国)一事,也令南非感到欠中国的情面。


 やっぱりそうだったかという感想。

「政府、中国に誓約文書…『脱北者保護せず』」

2011年12月08日 | 政治
▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2011年12月8日03時02分。〈部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111208-OYT1T00063.htm?from=main1

 日本政府が今年初め、中国政府の求めに応じ、北朝鮮からの脱出住民(脱北者)の保護について「中国の国内法を尊重し、脱北者を公館外から公館に連れ込まない」と誓約する文書を提出していたことが7日、分かった。
 複数の日本政府関係者が明らかにした。北朝鮮に配慮する中国の圧力に譲歩し、中国での脱北者保護を事実上断念したものだ。


 当の外務省は誓約の存在について沈黙しているそうだが、黙っているということは在るということだろう。存在しないなら「存在しない」と言えば済むはずのことだから。
 それでも「仮に事実とした場合には」、「中国の圧力に譲歩し」て自国内のウイグル人難民を中国へ送還する諸外国の行動を批判する方々(とくに日本国籍の方)は、まず日本政府を批判してこの現状を是正させるべく努力を重ねる必要が生じると、私は思うが、違うだろうか。

石井孝明 「きれいごとで情報は集められないが…=受け手は「オフレコ」で情報の歪む可能性に注意を」

2011年12月08日 | 政治
▲「アゴラ 言論プラットフォーム」2011年12月08日09:44。(部分)
 〈http://agora-web.jp/archives/1412296.html

 2011年12月03日「産経新聞 vs 琉球新報」より続き。

■琉球新報のオフレコ報道への戸惑い

田中氏の発言は大変に不快で、仮に事実とした場合には、書くべきであったと思う。ただし同時に琉球新報の行為を全面的に肯定できない戸惑いを私は抱く。

理由の第1は、事実関係が曖昧なためだ。品のない引用で恐縮だが、田中氏の防衛省での聴取結果は報道事実と異なる。「懇談で、「やる」という言葉を使ったが、これは評価書を提出することを言ったつもりで、少なくとも「犯す」という言葉を使った記憶はない」(要約)。他紙を見ると「犯す」などの発言を、直接聞いた記者は琉球新報以外にいないようだ。

理由の第2は、職業上の慣習のためだ。オフレコを報道する場合には同席した各社に連絡する慣習があるようだが、今回はその形跡はない。読者の方には「おかしな慣習」に見えるかもしれないが、努力ではなく「抜け駆け」で目立つことは、メディア業界の末席にいるものとして違和感を抱く。

理由の第3は琉球新報の主張する「公益性」という主張への戸惑いだ。本当に、それだけだろうか。まず批判されるべきは田中氏であり、この程度の人物に役職を与えた防衛省だ。しかし問題の本質は、基地問題に対する地元の理解だ。それが報道によって不必要に混乱させてしまった面もある。

こうした理由から、琉球新報の行動を手放しで評価はできない。


 2と3は立場と観点の違いだから必ずしも同意しないという選択肢もある。だが1は、まさに仮に事実だとした場合は、「手放しで評価はできない」ではすまない。