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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「防衛省が対中有事を想定 指揮・機動展開態勢強化へ」 から

2011年05月09日 | 音楽
▲「msn 産経ニュース」2011.5.9 01:30。
 〈http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110509/plc11050901300000-n1.htm

 防衛省が、昨年12月に策定した新たな「防衛計画の大綱」に基づき、自衛隊の警戒監視・機動展開態勢などの強化策を検討するにあたり、沖縄県・尖閣諸島が中国に占領されるシナリオを作成していたことが8日、分かった。

 唐淳風氏はさぞ嬉しいだろうと思う。氏の熱望する方向へ事態は進んでいるのだから。

新屋敷幸繁 『新講沖縄一千年史』 上下

2011年05月09日 | 日本史
 前項よりつづく。
 ただ、沖縄の旧慣をなるべく変えないという中央政府の方針は、たしかにそれは現地の事情を考慮して本土の政策をそのまま押し付けることはしなかったということには間違いないが、反面それは無責任な事なかれ主義ということでもあったのであり、そのおかげでかえって沖縄は王朝時代の陋習弊制が長くそのままのこり、おくれたままに置かれたとも言っていて、決して明治政府の措置を何から何まで礼賛しているわけではない(注)。

 注。「県となるのに十年もおくれ、県となってからも十年もおくらされて、二十年のおくれで、二十七、八年戦役の日清戦争によって日本の強いことがわからされ、二十三年十月三十日に発布された教育勅語が暗誦させられ、そうして明治十五年から十五年後の明治三十年にようやく番所蔵元が廃せられて間切役場が置かれ、一般人に断髪令が下るということになって、これで三十年の後れをとった。」(下巻「第二十三講 沖縄近代庶民史」同書390頁)
 番所・蔵元とは琉球王国時代の地方役所。間切役所とは明治後に置かれた近代国家の概念にもとづく役所。

 筆者新屋敷幸繁氏については、私はこの書以外に知るところがない。その本書で見る限り、氏は明確な本土復帰派であり(ちなみに沖縄返還はこの書の出版の翌年である)、沖縄は歴史的にみても文化的あるいは民族的に見ても日本の一部であるという立場の人である。その根拠と主張がとくに古代から近世初頭までを扱う上巻で学術的に展開されている。ただし、盲目的な中央志向のひとではなく、どちらかといえば「本土が沖縄に復帰するのだ」というに近い姿勢の人物であったようである。下巻「序文 沖縄の歴史を持つ日本は幸せである」参照。

(雄山閣 1971年10月)

琉球新報社編 『新琉球史 近代・現代編』

2011年05月09日 | 東洋史
 執筆者は高良倉吉、西里善行、菊山正明、池宮正治、田里修、冨山一郎、向井清史、三木健、石原昌家、大城将保、牧野浩隆、田名真之の各氏。       

 琉球処分を述べるに関して、それ以前とそれ以後で琉球(琉球諸島)の人々とくに平民の生活はよくなったのかわるくなったのかの比較検討が、定性的にも定量的にも出てこない。
 たとえば新屋敷幸繁『新講沖縄一千年史』(上下、雄山閣、1971年10月)のような、昔の研究にはかえってその判断は明確に下されているのだが。記録に残る当時の庶民の声の記録を挙げて、よくなったと。
 このことについては、自明の理――つまりよくなったに決まっている――だから、わざわざ触れる必要もないということなのだろうか。

(琉球新報社 1992年12月)

「丸ごと生食用とPR 食肉卸業者、フーズ社に」 から

2011年05月09日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2011年5月9日5時2分、長野佑介、生田大介。
 〈http://www.asahi.com/food/news/OSK201105080123.html

 フーズ社が捜査本部に任意提出したメール(2009年5月20日付)によると、大和屋の役員がフーズ社の仕入れ担当者に宛てて「ユッケ用サンプル」の完成を報告した際、「歩止(ぶどま)り約100%で、無駄がありません」としていた。〔略〕歩どまりは、仕入れた肉全体のうち実際に商品として使える割合で、フーズ社は、トリミング済みの肉が納入されると理解。大和屋から細菌検査で陰性の証明書も示されたため、09年7月、これまで他の業者から仕入れていたユッケ用の肉を大和屋から仕入れることにした。

 一方、板橋区保健所によると、大和屋の役員は調査に対して「生食用は作っていない」とし、出荷した肉はトリミングしていないと説明したという。


 どんどん話が変わってきますね。このメールが本当だとして、大和屋さんは、どうしてすぐばれるような嘘をついたのだろう。言い続けていれば動かぬ証拠が出てきても通ると思うのだろうか。繰り返すが、これは仮定の話だ。そしてこれは大和屋だけに向けられた問いではない。

「『軍国主義』→『現実主義者』山県有朋像に見直しの動き」 を読んで

2011年05月09日 | 思考の断片
▲「asahi.com」2011年5月9日11時30分、大室一也。
 〈http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201105090130.html

 たしかに後継者のやったことは山県本人には関係ないだろう。統帥権そのものには欠陥もなく、後世の運用者が悪用しただけだったかもしれない。しかしそれでも山県が何のために統帥権を独立させたかという点については私欲のためだったではないかという批判は免れまい。それから個人としての資質は別として、公人・政治家としても、山県を弁護するうえでは、たとえば山城屋和助事件や大逆事件についてどう評価するかという疑問も残る。外交・安全保障の観点から、冒険主義を避けた現実主義者だったら汚職をしても冤罪で国民を死刑にしてもいいわけではあるまいからだ。とにかく、ここに挙げられた諸著作を読んでみようと思う。

高木正一 『唐詩選』 全4巻

2011年05月08日 | 文学
 吉川幸次郎監修『中国古典選』の一。
 NHKビデオ『漢詩紀行』の「白楽天 香炉峰の雪は簾をかかげてみる」の巻を観ていて、白楽天(居易)の詩のよさにあらためて感じ入った。しきりに彼の詩が読みたくなるも、家に彼の詩集なく、やむなく半ば諦めながら『唐詩選』を披く。やはり載っていなかった。
 『唐詩選』はいわゆる「文は秦漢、詩は盛唐」の李攀竜(1514年 - 1570年)が編纂したといわれるアンソロジー全465首である。ただし初唐・中唐・晩唐の詩もまったく無視というわけではなくそれなりに収録されている(中唐詩83首、晩唐詩20首、ちなみに初唐詩は85首、あと年代不詳の詩9首)。
 「詩は盛唐(詩の天宝より下、倶に観るに足るものなし)」と言っておいて中・晩唐詩を収録するのもおかしな話であるけれど、それはまあいいとして、それよりも収録するなら収録するで、白居易(中唐)の作品を一首も採らないというのは、どういうわけだろう。同じく中唐の韓愈が一首のみというのも問題ありだが、それより韓愈を入れて白居易を落とすというのはいかなる見識に基づくものか、選択の基準がわからない。一瞥にも値しないといいながらいざとなったら採り上げるところも併せて、どうも主張の足場がいまひとつ堅固でない印象を受ける。

(朝日新聞社 1978年2月-3月)

田中伸尚 『大逆事件 死と生の群像』

2011年05月08日 | 日本史
 大逆事件は、まったくのフレームアップだったのか。それとも、証拠不十分(つまり推定無罪)を、無政府主義という信念が即天皇暗殺の予備・陰謀とみなしうるという観点(「平沼諭告」)にしたがって、むりやり旧刑法第73条「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫に対シ危害ヲ加エ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」の大逆罪を構成する、有罪と結論したのか。前者の場合、宮下太吉の天皇暗殺計画もまったくのでっちあげだったということだろうか。書き方が私にはむずかしくてよくわからない。例えばどうして宮下のこと(とくに裁判)にほとんど触れないのか。

(岩波書店 2010年5月)

志田行男 『「暗殺主義」と大逆事件』

2011年05月08日 | 日本史
 題名からしていまの私にはとても関心あるものだったが、よくわからない。大逆事件裁判における「幸徳秋水首魁説が空中分解した」といわれても、その結論に至る論理の過程がよくわからない。まず、ここの言葉づかいが首魁であって主犯でないのはなぜか。そして空中分解とは何だろう。
 また、「暗殺主義」の文章を書いた人間の名についてまったく触れないのはどうしてだろう。サンフランシスコ総領事館にいさましく張り紙し、さらには同地の日本人社会にばらまいたはいいが、案の定大騒動となり、同胞の激昂を招いて、見つかり次第リンチされかねない雲行きとなったのをみて、恐れをなしてどこかへ逐電したというのだが、それは竹内鉄五郎と小成田恒郎ではないのか。近年の研究では違ってきているのだろうか。だが名前も分からない人間が逐電したとどうして分かるのだろう。

(元就出版社 2000年9月)