原書 Owen Lattimore, The Desert Road to Turkestan, Little Brown, Boston, 1928.
モンゴルでは、どこへ行っても必ずシナ商人の姿を見かけるほどに、昔から彼らの活動はさかんであった。〔中略〕外国人の中で暮らしているすべてのシナ人はそうであるように、実際にモンゴル人の社会に入った者は、風習も、身なりも、さらには言葉づかいさえも、半ば以上モンゴル化してしまい、はからずもモンゴル人の持つかたくなな保守的傾向を裏書きする結果になるのである。 (本書218頁)
こうした保守的な傾向は、言葉の面にも現れているようである。とくにシナと境界を接する地域に住むモンゴル人は、シナ語を流暢に話せる者がほとんどであるが、それでいて彼らはシナ語を使いたがらず、またモンゴル領内に住むシナ人とも、相手がモンゴル語を使わないかぎり、つきあおうとしない。〔中略〕こうしたシナ人ぎらいは、最近になってシナ人による土地の収用が活発化するにしたがって、とくにシナの行政下におかれた諸部族のあいだで、ますます高まる傾向を見せているようである。 (本書218-219頁)
(白水社 1967年1月第1刷 1980年8月第4刷)
モンゴルでは、どこへ行っても必ずシナ商人の姿を見かけるほどに、昔から彼らの活動はさかんであった。〔中略〕外国人の中で暮らしているすべてのシナ人はそうであるように、実際にモンゴル人の社会に入った者は、風習も、身なりも、さらには言葉づかいさえも、半ば以上モンゴル化してしまい、はからずもモンゴル人の持つかたくなな保守的傾向を裏書きする結果になるのである。 (本書218頁)
こうした保守的な傾向は、言葉の面にも現れているようである。とくにシナと境界を接する地域に住むモンゴル人は、シナ語を流暢に話せる者がほとんどであるが、それでいて彼らはシナ語を使いたがらず、またモンゴル領内に住むシナ人とも、相手がモンゴル語を使わないかぎり、つきあおうとしない。〔中略〕こうしたシナ人ぎらいは、最近になってシナ人による土地の収用が活発化するにしたがって、とくにシナの行政下におかれた諸部族のあいだで、ますます高まる傾向を見せているようである。 (本書218-219頁)
(白水社 1967年1月第1刷 1980年8月第4刷)