書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ラティモア著 谷口陸男訳 『西域への砂漠の旅』 から

2009年07月18日 | 抜き書き
 原書 Owen Lattimore, The Desert Road to Turkestan, Little Brown, Boston, 1928.

 モンゴルでは、どこへ行っても必ずシナ商人の姿を見かけるほどに、昔から彼らの活動はさかんであった。〔中略〕外国人の中で暮らしているすべてのシナ人はそうであるように、実際にモンゴル人の社会に入った者は、風習も、身なりも、さらには言葉づかいさえも、半ば以上モンゴル化してしまい、はからずもモンゴル人の持つかたくなな保守的傾向を裏書きする結果になるのである。 (本書218頁)

 こうした保守的な傾向は、言葉の面にも現れているようである。とくにシナと境界を接する地域に住むモンゴル人は、シナ語を流暢に話せる者がほとんどであるが、それでいて彼らはシナ語を使いたがらず、またモンゴル領内に住むシナ人とも、相手がモンゴル語を使わないかぎり、つきあおうとしない。〔中略〕こうしたシナ人ぎらいは、最近になってシナ人による土地の収用が活発化するにしたがって、とくにシナの行政下におかれた諸部族のあいだで、ますます高まる傾向を見せているようである。 (本書218-219頁)

(白水社 1967年1月第1刷 1980年8月第4刷)

小松久男編 『中央ユーラシア史』 から ③

2009年07月18日 | 抜き書き
 そもそも歴史的にみれば、民族集団の形成と融合、変容と消滅はきわめてありふれた事象である。タリム盆地のオアシス地帯はいわば民族融合の溶鉱炉であり、イスラームはその融合を促進する触媒の役割をはたしてきた。〔中略〕現在にいたってもこの融合の過程を部分的には観察することが可能であり、言語と生活習慣においてウイグル化したクルグズ、同じくウイグル化しつつあるモンゴル、家庭生活でもカザフ語を使用するモンゴルなどの集団の存在が知られている。また個人的なレヴェルでは、少数民族の女性と結婚し、妻方の社会に所属するようになった漢族男性もまれではない。 (濱田正美「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (3)新疆ウイグル」 本書436頁)

 しかし、政治権力によって、ある個人がある民族籍を有すると認定されることは、個人がその民族への忠誠を同族からも他の民族集団からも期待される結果になり、近代国家以前の段階では「自然的に」進行した民族の融合と変容の過程は、民族籍という近代的制度によって押しとどめられることになった。いわば新疆ウイグル自治区には一三の民族主義(漢族のそれを含めれば一四)が存在する潜在的可能性があり、「より小さな」少数民族からすれば、大漢族民族主義も、「大ウイグル民族主義」もともに自民族の桎梏とみなされることは必至である。 (濱田正美「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (3)新疆ウイグル」 本書436頁)

(山川出版社 2000年10月)

小松久男編 『中央ユーラシア史』 から ②

2009年07月18日 | 抜き書き
 一九九五年五月、ダライラマ十四世がパンチェンラマ十一世の転生者としてゲンドゥンチュキニマという名の六歳の童子の名を発表すると、その直後にこの童子は何者かに拉致され、この少年の認定に関係した僧は処罰された。そして、九五年十一月、中国政府はこのゲンドゥンチュキニマを除く複数の候補者をラサの大昭寺に集めて金瓶儀礼をおこない、この結果に基づきゲルツェンノルブという童子をパンチェンラマ十一世に決定した。さらに、同日午後におこなわれた即位式では、新パンチェンラマに国務院から金印金冊が送られた。これは、歴代中国皇帝が内外の家臣に冊印を授与(冊封)することにより象徴的な上下関係を構築する中国の外交儀礼の再現であり、このような王朝時代の儀礼までをもちだして中国政府が内外に示したかったことは、「中国によるチベット支配は歴史的なものである」ということであろう。 (石濱裕美子「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (2)チベット」 本書429-430頁)

 しかし、中国王朝によってかたちづくられていた象徴的な上下関係(冊封関係)は、五九年以後に中国政府がおこなっている実態的なチベット支配と同一に論じることはできない。さらにいえば、「宗教は阿片である」と唱える共産主義政権が、過去の儀礼までもちだして転生相続制というチベット仏教独自の文化の維持に励んでいる姿は、中国によるチベット支配の歪みを物語る以外のなにものでもあるまい。 (石濱裕美子「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (2)チベット」 本書430頁)

 歴史的にみても、清皇帝やモンゴル王などの外部勢力が選定した化身僧が歴史的に正統として残った例はまったくなく、この金瓶儀礼も文殊菩薩の化身と呼ばれた清皇帝ですら機能させえなかったものであることを考え合わせると、金瓶儀礼の結果選出されたこの少年が将来も正統なパンチェンラマとして人々に受け入れられる可能性は薄いものと考えられる。 (石濱裕美子「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (2)チベット」 本書430頁)

(山川出版社 2000年10月)

小松久男編 『中央ユーラシア史』 から ①

2009年07月18日 | 抜き書き
 中国での、いわゆる「民主化運動」がおこなわれた時期は、モンゴル人民共和国における民主化時期とも重なり、内モンゴルでも一部では「大モンゴル主義」的な傾向がみられたという。ただ内モンゴル自治区という現在の体制が成立したこと自体、中国のなかでの「民族区域自治」を、モンゴル人が受け入れたことを意味しており、国境をこえたモンゴル人への心情的ないし文化的な共通意識はあるものの、それが政治的な運動に転化した場合、いかに危険な結果をもたらすかを、人々はよく知っている。この点は、〔中略〕現在のモンゴル国のモンゴル人も同じである。むしろ内モンゴル人自治区に限らず、中国のモンゴル人にとっての最大の問題は、モンゴル人としてのアイデンティティはあったとしても、その実体があやふやなものとなっていることであろう。 (中見立夫「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (1)内モンゴル」 本書424-425頁)

 中国全土で「モンゴル族」という「民族籍」をもつ人々は、現在は五〇〇万人を突破していると推定される、そのうち、内モンゴル自治区には九〇年人口統計では約三三八万人のモンゴル人が生活しているが、一方漢族人口は一七二九万人におよぶ。ところが、この「モンゴル人」のなかで、モンゴル語を解するものは、とくに都市部では少数であり、生活様式も漢族のそれと異ならない。そういう人々は、自分が「モンゴル族」であるという意識はあっても、それとともに「中国人」という認識をもっている場合が多い。心のどこかにモンゴル人というアイデンティティはあるものの、モンゴル国のモンゴル人、いや内モンゴルでもいぜんとして「モンゴル」的生活パターンを維持している牧区のモンゴル人とのあいだでさえ、語り合うべき共通の「文化」はほとんど存在しない。漢族との同化が一部の区域では急速に進行するなかで、内モンゴルのモンゴル人、中国のモンゴル人が次世代に継承すべき「文化」とはなにか。 (中見立夫「第8章 現代の選択」「②中国辺境 (1)内モンゴル」 本書425頁)

(山川出版社 2000年10月)

逢場作戯ではなく官場習気と

2009年07月18日 | 抜き書き
▲「曹長青網站」2009年7月16日、「中共在新疆事件中的八个错误」 (部分)
 〈http://caochangqing.com/gb/newsdisp.php?News_ID=1941

  任何了解一点热比亚在美国的身份、处境的人都会知道,如果她有那样的能量,新疆早就不会在中共手里了。这明显是王乐泉们推卸责任。因为不把它推到外部,那就只能是内部原因,就会自然追究到王乐泉等中共官员麻木不仁、官僚主义、失职渎职等等责任上。 (太字は引用者)