▲「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」、「チベット亡命政府 情報・国際関係省『The Panchen Lama Speaks』」、山際素男訳。 (部分)
〈http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl_speaks_text.html〉
チベットの貴族階級は何代にもわたって政府に仕えてきた。彼らはダライ・ラマ法王を深く信奉し、現世、来世両方の拠り処としてきた。民衆もまた同様に深い尊敬と献身性を保ち続けてきた。これは否定し難い事実である。然るに後から、貴族たちは反乱の指導者として糾弾され迫害された。これは絶対に間違いであったと私は信じる。嘆願書の中で私はこのことを明記した。そしてそれゆえに責められ罰せられた。だが真実は永遠に不変である。もちろん私の嘆願書には幾多の間違いがあった。しかし明確に声を大にしたことにおいて、私はいささかの過ちをも犯してはいない。嘆願書の中で犯した間違いは過去、今日においても間違いは間違いとして変わるまい。しかしながら、何処で私が過ちを犯し、何処で私が正しかったのか区別は明らかにしなくてはならない。
最初のカムパ族ゲリラの拠点となったロカについて語ろう。ダライ・ラマ法王14世がその地を通った時、住民は心から喜び、バター、大麦粉その他の食料を自発的に寄進した。これは全く人びとの愛情の表現であった。しかしその後この人びとは抵抗運動の活動分子として処罰された。どうしてこんなことが出来るのか?これはチベット人であれば誰しもが知っている慣わしなのだ。
当時私自身同じように通りすがりの住民から手厚い歓迎を受けたものだ。それが今になって政治的陰謀だとどうしていえよう。人びとはその宗教心と習慣によって私への敬意を表明したに過ぎないのだ。チベット独自の習慣や伝統に正しい配慮がなされなくてはならない。
反乱を鎮め、改革を進めることは原則として正しい。だがそのやり方には極左的偏向が色濃かった。こうしたことは、2度とくりかえしてはならず、正さねばならない。30年間の中国共産党政権下で多くの良いことがなされ、かつ悪いことも行われてきた。
これらの事柄は、第11回中国共産党全国大会、第6回大会において検討され、国際的にも広く知られた。自らの過ちを公表することは党のイメージを損なうよりは、むしろそれを救うことになるだろう。
青海省で犯された残虐行為一切を記録したフィルムがもしあれば、それを観た人びとを戦慄させずにはおかないだろう。ゴロク地区では、大勢の人が殺され、その屍体は丘の斜面から深い凹地に転げ落とされた。そして中国兵士たちは遺族に向かって反乱は一掃されたことを喜べといった。人びとは死者の体の上で踊ることを強制され、しかもその後で機銃の一斉射撃によって瘧殺され、その場で埋められたのである。
現実にこれら地域総てに反乱が発生したわけではなかった。が、カム地方ではもちろん方々で反乱が起こった。アムドのジローン・パルポ、ミリでは、遊牧民たちは武器をまとめて中国軍に差出した。彼らは賞賛され、特別な催しまで行ってもてはやされた。だがそのお祭り騒ぎが終わるや否や村に追い返され、そこで逮捕され長期間投獄された。その中には相当な老人たちがたくさんいたのである。
アムド、カム地方ではいい尽くせぬほどの残虐行為が行われた。人びとは10人、20人と1まとめにして射殺された。このようなことを喋るのは好ましくないのは重々承知している。しかしこれらの無数の残虐行為がどれほどチベット人民の心に深い傷を与えたかを告げたいのだ。
〈http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/pl_speaks_text.html〉
チベットの貴族階級は何代にもわたって政府に仕えてきた。彼らはダライ・ラマ法王を深く信奉し、現世、来世両方の拠り処としてきた。民衆もまた同様に深い尊敬と献身性を保ち続けてきた。これは否定し難い事実である。然るに後から、貴族たちは反乱の指導者として糾弾され迫害された。これは絶対に間違いであったと私は信じる。嘆願書の中で私はこのことを明記した。そしてそれゆえに責められ罰せられた。だが真実は永遠に不変である。もちろん私の嘆願書には幾多の間違いがあった。しかし明確に声を大にしたことにおいて、私はいささかの過ちをも犯してはいない。嘆願書の中で犯した間違いは過去、今日においても間違いは間違いとして変わるまい。しかしながら、何処で私が過ちを犯し、何処で私が正しかったのか区別は明らかにしなくてはならない。
最初のカムパ族ゲリラの拠点となったロカについて語ろう。ダライ・ラマ法王14世がその地を通った時、住民は心から喜び、バター、大麦粉その他の食料を自発的に寄進した。これは全く人びとの愛情の表現であった。しかしその後この人びとは抵抗運動の活動分子として処罰された。どうしてこんなことが出来るのか?これはチベット人であれば誰しもが知っている慣わしなのだ。
当時私自身同じように通りすがりの住民から手厚い歓迎を受けたものだ。それが今になって政治的陰謀だとどうしていえよう。人びとはその宗教心と習慣によって私への敬意を表明したに過ぎないのだ。チベット独自の習慣や伝統に正しい配慮がなされなくてはならない。
反乱を鎮め、改革を進めることは原則として正しい。だがそのやり方には極左的偏向が色濃かった。こうしたことは、2度とくりかえしてはならず、正さねばならない。30年間の中国共産党政権下で多くの良いことがなされ、かつ悪いことも行われてきた。
これらの事柄は、第11回中国共産党全国大会、第6回大会において検討され、国際的にも広く知られた。自らの過ちを公表することは党のイメージを損なうよりは、むしろそれを救うことになるだろう。
青海省で犯された残虐行為一切を記録したフィルムがもしあれば、それを観た人びとを戦慄させずにはおかないだろう。ゴロク地区では、大勢の人が殺され、その屍体は丘の斜面から深い凹地に転げ落とされた。そして中国兵士たちは遺族に向かって反乱は一掃されたことを喜べといった。人びとは死者の体の上で踊ることを強制され、しかもその後で機銃の一斉射撃によって瘧殺され、その場で埋められたのである。
現実にこれら地域総てに反乱が発生したわけではなかった。が、カム地方ではもちろん方々で反乱が起こった。アムドのジローン・パルポ、ミリでは、遊牧民たちは武器をまとめて中国軍に差出した。彼らは賞賛され、特別な催しまで行ってもてはやされた。だがそのお祭り騒ぎが終わるや否や村に追い返され、そこで逮捕され長期間投獄された。その中には相当な老人たちがたくさんいたのである。
アムド、カム地方ではいい尽くせぬほどの残虐行為が行われた。人びとは10人、20人と1まとめにして射殺された。このようなことを喋るのは好ましくないのは重々承知している。しかしこれらの無数の残虐行為がどれほどチベット人民の心に深い傷を与えたかを告げたいのだ。