〔略〕宮中側近たちは、官吏減俸問題で、〔昭和〕天皇が意志を直接政治担当者に伝えるのを避け、宮中側近を通して間接的に伝える方式を初めて本格的に採用し、成功した〔略〕。これは、張作霖爆殺事件の処理をめぐり、天皇の田中〔義一〕首相への発言が大きな波紋を呼んだことへの反省であった。この方法は、明治天皇が政治関与を抑制しながらも、自らの声で意向を政治担当者に示し、それが他の権力中枢にいる者にも伝わり、政治対立が調停されていったことに比べると、新しいものであった。/牧野〔伸顕〕ら宮中側近は天皇に対して誠実な人物であり、天皇の意向を曲げて政治担当者に伝えようとの意図を有していなかったことは事実である。また、この様式は天皇に批判が及ぶ可能性を少なくできる利点もあり、天皇の意向を間接的に伝えられた相手が、天皇や宮中側近から好意的に見られている人物なら、彼らはそれに容易に従う。しかし、自らの意向と天皇・宮中側近の意向が異なる場合、彼らは「君側の奸」が天皇の意志を曲げている(あるいは天皇の意志が「君側の奸」によって曲げられている)と疑い、簡単には従わず、この方法を取り続けると、長期的には天皇の権威が弱まり、調停機能が低下していく。 (「第四章 浜口雄幸内閣と立憲君主制の動揺」 本書160頁。太字は引用者)
(名古屋大学出版会 2005年5月)
(名古屋大学出版会 2005年5月)