書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

パール・バック著 新居格訳 中野好夫補訳 『大地』 全4巻

2012年09月07日 | 文学
 何度目かの読み返しである。やはり詰まらない。翻訳が悪いわけではない、それどころかいかにも新潮らしく、水準を遙かに超える素晴らしい訳である。では何故か。ここにある内容は、その後に出た中国を描くフィクション・ノンフィクションで幾度と無く書かれ描かれてしまっているからだ。この書ならではというところがもうないのである。永遠に残る“細部”がない。いまや粗筋を読めば足りるようになってしまった。あとは英語の文体を確かめるくらいしか、もはや私個人としては、“楽しみ”は残っていない。

(新潮社新潮文庫 1954年3月発行 1968年3月22刷改版 1988年11月59刷ほか)

毛里和子 『現代中国政治〔第3版〕 グローバル・パワーの肖像』

2012年09月07日 | 地域研究
 著者は、「実験ができない社会科学では『比較』が自然科学での『実験』に相当する」と書いている(「序章 現代中国への新たなアプローチ」本書9頁)。本当だろうか? それでいいのか? それともせいぜいそれぐらいしかないということか?

(名古屋大学出版会 2012年5月)

小川原正道 「福沢諭吉における外交」

2012年09月07日 | 日本史
 慶應義塾大学『法学研究』84-5(2011年5月)、35-80頁掲載。
 
 このタイトルで『脱亜論』が名すら出てこないのは、奇異の念を抱く。そもそも、今回読んだ著者の論文3本全て、福沢の言説の出典として現行の『福沢全集』(つまり石河幹明編集版が基礎)を使っているが、断らないまでも何らかの基準で取捨選択を行っているのだろうか。


小川原正道 「福沢諭吉の天皇論」

2012年09月07日 | 日本史
 慶應義塾大学『法学研究』84-4(2011年4月)、31-64頁掲載。

 福澤の天皇・皇室観は、現行憲法に見えるそれとほぼ同じという指摘。
 『帝室論』ほかを素直に読めばすぐわかることだと思うのだが・・・。こういう当たり前のことをわざわざ専門家が論文で念をおさねばならないところが、世上在野学界を問わず福澤研究のおかしなところであろう。
 
  

小川原正道 「福沢諭吉の憲法論 明治憲法観を中心に」

2012年09月07日 | 日本史
 慶應義塾大学『法学研究』84-3(2011年3月)、1-25頁掲載。

 福澤が帝国憲法に「つきはなした」態度を取ったのは、明治14年の政変に破れたからという主張である。また、このことはいまのべた政変での敗北とも関わってくるが、彼は社会に安定をもたらすものとして明治憲法そのものは評価したが、自らの望む英国型の憲法でなかったことも、おおいに与っていると。
 後者はたしかにそうだろう。福澤は基本的に、内容に色々不満はあっただろうが憲法の制定自体を近代化(文明化)としての尺度から評価したし、日本が(西洋)文明を受け入れ進む主体としての明治政府を肯定し支持した。