何度目かの読み返しである。やはり詰まらない。翻訳が悪いわけではない、それどころかいかにも新潮らしく、水準を遙かに超える素晴らしい訳である。では何故か。ここにある内容は、その後に出た中国を描くフィクション・ノンフィクションで幾度と無く書かれ描かれてしまっているからだ。この書ならではというところがもうないのである。永遠に残る“細部”がない。いまや粗筋を読めば足りるようになってしまった。あとは英語の文体を確かめるくらいしか、もはや私個人としては、“楽しみ”は残っていない。
(新潮社新潮文庫 1954年3月発行 1968年3月22刷改版 1988年11月59刷ほか)
(新潮社新潮文庫 1954年3月発行 1968年3月22刷改版 1988年11月59刷ほか)