『張岱年先生全集』4(石家庄 河北人民出版社 1996年12月)所収のテキスト(同書449-702頁)。1987年12月の日付のついた序文あり。
「理」「気」をはじめ、夥しい中国伝統哲学の主要な概念および用語の実例文集として役立つ。
語義の解釈は、唯物論でばっさばっさとなでぎりで、役に立たない。歴史感覚がないのと、テキストを読めていないせい(あるいはよめても唯物論の教義にあわせて読まねばならなかったせい)であろう。引用文は文言文のままで解釈はついていない。
(32)の“故,所以,因”(596-599頁)で、これらをすべて“原因”と解釈しているのだが、同時に「因」“~を使って(依)”の意味であるともしていて、奇妙である。アリストテレスの四原因説ならともかく、現代の普通の原因の意味からすれば矛盾している。質量因を原因に入れるのならまさか目的因(~するために)も原因に数えているのではないかと例文を探してみたが、これはさすがになかった。
とにかく解釈部分は怪しい。
「理」「気」をはじめ、夥しい中国伝統哲学の主要な概念および用語の実例文集として役立つ。
語義の解釈は、唯物論でばっさばっさとなでぎりで、役に立たない。歴史感覚がないのと、テキストを読めていないせい(あるいはよめても唯物論の教義にあわせて読まねばならなかったせい)であろう。引用文は文言文のままで解釈はついていない。
(32)の“故,所以,因”(596-599頁)で、これらをすべて“原因”と解釈しているのだが、同時に「因」“~を使って(依)”の意味であるともしていて、奇妙である。アリストテレスの四原因説ならともかく、現代の普通の原因の意味からすれば矛盾している。質量因を原因に入れるのならまさか目的因(~するために)も原因に数えているのではないかと例文を探してみたが、これはさすがになかった。
とにかく解釈部分は怪しい。