著者の包爾漢はブルハン・シャヒディ。30才年少だが革命前の新疆(北疆)で生まれ革命後数年までをそこで生きたムニール・イェルズィン氏の自伝は最初から本人でしか書けない、当時の現地における実体験の連続である。しかるに著者のこの自伝は、冒頭タタールスタン出という自らの生い立ち記の後、著者本人の実体験談があまりない。ドイツ留学中で新疆にいなかった時期や下獄中の新疆まで書いてある。釈放後の省主席時代は別だが。大局的な当時の歴史の叙述が多いところ、先日の『堯楽博士回憶録』と同じか、あるいはそれ以上である。
ブルハンは、自伝にことよせて中華人民共和国建国までの新疆の同時代人からみた歴史を書こうとしたのだろうか。1949年以後に筆を進めていないのは例の「歴史決議」があるから、というよりそれに繋げるためか。
ならばそれならそれで、史書らしく出典や参考文献を明示すべきだろうと思う。ところが本書は、記述のよってきたる処をほぼ全く示さないから、真偽を確かめる術がない。 そこも「歴史決議」と軌を一にする。
そもそも、漢語で書かれたこの本は、ウイグル人である(或いはタタール人とも)本人がどこまで書いたか疑問である。国家と党による、やや一般向けの”解放”前、とくに民国時代の公定新疆史という意味あいがあったのではないかと臆測したりする。
メモ。
①楊増新について、公式唯物史観の枠内ではあるが、相当程度に評価高し。(数少ない引用文献のかなりの部分を楊の書簡と日記が占む。)
②盛世才については極めて悪し。
③金樹仁については評価の言葉乏し。論外の如し。
④楊増新暗殺については世上の異説を表記することなし。
(北京 文史资料出版社 1984年2月)
ブルハンは、自伝にことよせて中華人民共和国建国までの新疆の同時代人からみた歴史を書こうとしたのだろうか。1949年以後に筆を進めていないのは例の「歴史決議」があるから、というよりそれに繋げるためか。
ならばそれならそれで、史書らしく出典や参考文献を明示すべきだろうと思う。ところが本書は、記述のよってきたる処をほぼ全く示さないから、真偽を確かめる術がない。 そこも「歴史決議」と軌を一にする。
そもそも、漢語で書かれたこの本は、ウイグル人である(或いはタタール人とも)本人がどこまで書いたか疑問である。国家と党による、やや一般向けの”解放”前、とくに民国時代の公定新疆史という意味あいがあったのではないかと臆測したりする。
メモ。
①楊増新について、公式唯物史観の枠内ではあるが、相当程度に評価高し。(数少ない引用文献のかなりの部分を楊の書簡と日記が占む。)
②盛世才については極めて悪し。
③金樹仁については評価の言葉乏し。論外の如し。
④楊増新暗殺については世上の異説を表記することなし。
(北京 文史资料出版社 1984年2月)