徐光啓は、ユークリッドの翻訳の『幾何原本』では冒頭定義の翻訳を間違えていた(「第4章 『幾何原本』と公理的秩序」)。李之藻は『渾蓋通憲図説』を訳述したが根本原理を理解しきれていなかったため、読んだ人間はそのままではアストロラーベを造ることができなかった(「第8章 『渾蓋通憲図説』」)。それでも明末清朝の中国の知識人・科学者は、当時の西洋科学をかなりの水準まで理解体得できたのだが――暦学がその代表である――、その後次第に経学の枠組みで理解する風にいわば退行してゆく。徐も西洋科学の中国起源説を著書で唱えているが、それはあくまで中国人に受け入れやすくするための便法であったというのが、安氏の主張である。
ところで、安氏によれば、徐は『簡平儀説』(1611年)で、「理」という語を、どうやら特別の説明なしに自然法則の意味で使っているらしい。安氏はその証拠として、「理をいうに、所以為の故を言わないのは、似て非なる理」(序文)という彼の言葉を証拠として引いている。さらに安氏は、この「故」は「原因」の意味であると注釈している(「第9章 『簡平儀説』、本書277頁)
とすれば、徐は、福澤諭吉の『訓蒙 窮理圖解』(1868年)より250年以上以前に、「理」を概念として「倫理原則」と「自然法則」の二つに分離していただけでなく、後者のみの意味で「理」字を使用していたことになる。これがもし本当であれば、私にとり驚愕に値する。検証すべし。
(知泉書館 2007年8月)