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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『オマール海老大全 古典料理と最新の技法が一冊で学べる』

2011年04月18日 | その他
 先の週末、子供のリクエストに応えて、オマール海老を食卓に上せることに。どんな料理法があるのかと図書館で借りて見てみた。紙質も写真もそれは美しく、見てとても楽しめたがとても素人の手に合うレシピなく、とりあえずボイルすべしと決定。たとえ冷凍物でも常温から流水で丁寧に解凍し、それからしばらく(1~2時間)微温の塩水で浸けておき――と、手間暇を厭わなければ、塩で茹でただけでも存分に美味しいことがわかった。一匹手足ハサミをもいでかぶりつきたかった子供たちもまずは機嫌よく。

(旭屋出版 2004年12月)

仁井田陞 『中国法制史』

2011年04月18日 | 東洋史
 この本の処々合わせて4分の1ほどを占める、著者の声高な政治的ジェスチュアは、学問的もしくは政治的信念のあってのことではなく、歴史学界ならぬ歴史業界における世俗的欲望、つまり“出世”のためではなかったかというのが、著者の長年の同学にして知人であった宮崎市定御大が『自跋集 東洋史学七十年』(岩波書店 1996年5月)で披瀝する見方である。かりにそうだったものと思いなして、20年以上かかって、やっと最初から最後までいちどきに読み通すことができた。
 
(岩波書店 1952年6月)

いわゆる画餅(百も承知の?)

2011年04月18日 | 思考の断片
 2011年02月17日「『人民日報:行業収入不怕差距怕不公』 から」より続き。

▲「新華網」2011年04月17日 17:32:13、「温家宝同国务院参事和中央文史研究馆馆员座谈讲话」
 〈http://news.xinhuanet.com/politics/2011-04/17/c_121314799.htm

 「産経新聞」の記事を見て、もとの新華社の記事に当たる。
 公共道徳の源泉を朱子や『貞観政要』に求めるのは、権威主義という以前に血で血を洗うようなものである。朱子の公平は朱子学の公平だから当然ながら孔子のそれをそのまま引き継いだ直躬の公平だし、『貞観政要』の正義は民草すべてではなく君主ただ一人ための正義ではないか。中国社会の昔ながらの身内贔屓と天下私物観に不問ではどうにもならない。せっかくの“公平正義”が台なしである。さらに言えば、“公平正義”であり“公平無私”でないということは、公正の不在の問題についてはまったく手つかずということである。しかも精神論ばかりで実際にどうやって目的(道徳の再建、改革の実現)を達成するかの方法論が全く示されない。これでは到底ダメだと思うのだが。