▲「池田信夫 blog part.2」2011年04月29日 12:20。
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http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51703016.html〉
順序が逆になるが、二カ所引く。
かつて水俣病や四日市喘息が問題になったときの「公害問題」は生命の脅威だったが、そういう深刻なリスクは80年代までにほぼ除去された。
自然を掠奪して人間が豊かになることは西洋近代の「業」であり、われわれの文明は本質的に反自然なのだ。
平野久美子女史は、『坂の上のヤポーニア』(産経新聞出版 2010年12月)で、帝政ロシア時代のリトアニア独立の志士ステポナス・カイリースが、1906年の時点で、この昭和日本の「公害問題」を予見していた、というより理の当然として見通していたことに言及している。
工業の発達を妨げる障害が取り除かれれば、百年もしないうちに日本は極東のイギリスとなり、工場の煙が天皇の臣民から明るい太陽を覆い隠すだろう。今はまだ群青色に波打ち、遠くまで広がる明るい海原も覆い隠してしまうことになるだろう。(本書86頁)
彼が日本を論じたその著書のなかで、同時期すでに問題となっていた足尾銅山(田中正造の直訴は1901年)のことに触れていないのは奇異の思いもするが、それはカイリースが日本に行くことなく、手許で入手可能な文献や資料(新聞など)に基づいて書いたことを考慮すれば、無理もないかもしれない。日本の国内でもその惨状と問題の深刻さは基本的に地域一帯で知られるにとどまり、全国津々浦々で知悉されていたわけではないのだから。東京で天皇に直訴しようとした田中正造が狂人扱いされて、その直訴の内容が黙殺されたことは、よく知られた事実である。
カイリースは。この書を、単なる学術研究やエキゾチックな遠い異国紹介のためではなく、帝政ロシアの桎梏に苦しむ同胞に、極東に、その強大なロシアに果敢に立ち向かい、そして勝利した生まれたばかりの小さな島国があるということを知らせ、同胞を奮い立たせるために書いた。だからこの「公害問題」についての警鐘は、日本だけのことではなく、近代資本主義国家すべてに通じる(カイリースは社会主義者だった)問題として論じていると見るのが自然である。その慧眼に驚かざるをえない。
しかしひるがえって考えてみると、彼は、日本を「極東のイギリス」と呼んだ。19世紀の産業革命時代に大躍進を遂げたイギリスが、その同時にというか代償に、ひどい公害(たとえば大気汚染)に苦しんだのは、少しでも関心をもってイギリスを観る者にとっては自明のことであったろう。こう考えてみると、カイリースは予言ところではなく当たり前の事実(まだ顕現していないだけ)を言っているにすぎないと言える。だが当の日本人は総体としては、その後数十年たたないとその当たり前の事実にきづかなかった。資本主義、というよりも近代化は、自然破壊の謂いでもあるということを。