「臨終の田中正造」で、なんで直訴状なんか書いたとなじる木下に、幸徳秋水は、「直訴状など誰だつて厭だ。けれど君、多年の苦闘に疲れ果てた、あの老体を見ては、厭だと言うて振り切ることが出来るか」と、答えたことになっている。つまり頼まれて仕方なく書いたというのである。
だが
実際の事情は木下が秋水から聞いたとするところとはかなり異なるようである。
木下は田中とは秋水の死後もつきあいがあったが、田中も木下に対しては最後まで本当のことは言わなかったらしい。彼が木下に語ったというところは、あくまで自分が直訴の前夜に突然押しかけて乗り気でない秋水に半ば無理矢理書かせたように繕ってある。
翁の物語で、いろ/\の事情が明白になつた。翁は先づ直訴状依頼の当夜の事から語つた。翁が鉱毒地の惨状、その由来、解決の要求希望、すべて熱心に物語るのを、幸徳は片手を懐中にし、片手に火箸で火鉢の灰を弄ぶりながら、折々フウン/\と鼻で返事するばかり、如何にも気の無ささうな態度で聞いて居る。翁は甚だ不安に感じたさうだ。自分の言ふことが、この人の頭に入つたかどうか、頗る不安に感じたさうだ。偖て翌朝幸徳から書面を受取る、直ぐに車で日比谷へ行つた。 (「臨終の田中正造」。引用は『青空文庫』から)
秋水は前日どころかその一月近く前に「直訴状」を書き上げていた。
その場に居あわせたという石川半山は何か証言を残していないのだろうか。
(教文館 1995年11月)