くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「きのうの神さま」西川美和

2009-12-25 05:39:56 | 文芸・エンターテイメント
映画には毛筋ほどの興味もないわたし。子供につきあうほかは、三回しか映画館に行ったことがありません。
だから本来なら、この作家の本を手にとることはなかったはずなのです。でも、声を大にして言いましょう。いいですよ西川美和!
松田哲夫さんのプッシュで読みたいと思ったのですが、いざとなると作家も作品名も思い出せないという情けない癖がわたしにはありまして。読んでみたいけど、苗字は何だっけ? と思いながら本屋に行ったら、「きのうの神さま」(ポプラ社)が平積みになっていました。そうそう、そうだった! でも、そのあとに行った図書館で借りたんだけど。
何でしょう。はじめの「1983年のホタル」でノックアウトされました。
「トイレの窓の磨りガラスからやわらかく差し込む午後の光が、目の前に立つ匂坂さんの髪の毛を明るい栗色に染め上げていた」
この描写! ゾクッとしませんか。
主人公のりつ子は、塾に通うためにバスを利用している小学生。村の中では優等生で通っていたのに、塾ではあまりぱっとしません。
その塾でりつ子の目を引いたのは、匂坂月夜という女の子。サキサカツキヨですよ! 自分の周囲にはいなかったタイプです。(当然ですがもちろんわたしの周囲にも、いません)
バスの運転手・一ノ瀬時男のことが、なぜかりつ子の気持ちにひっかかっています。
バスに一人残ったとき、彼が話しかけてきて、自分の姉がある私立の学校にいたことを語ります。どうもその姉は亡くなったらしいのですが、りつ子は勉強が思うようにいかず、苛立ちをぶつけます。そして、ある事故が……。
これは「過去」の物語であることに意味のある小説だと思います。
私立中学に進んだりつ子は、匂坂月夜とも同級生になり、手の届かないような遠い人、と思っていた彼女を「ツッキー」と呼ぶようにもなります。
一ノ瀬の姉のこと、なぜ亡くなったかを知りたいと思い教師に尋ねますが、「思い出したら必ず教える」と言われるのです。
とても、ありそうなエピソード。同じような経験をした人も多いような気がします。だけど、それを一編の小説に仕立てあげる手腕が見事。

この短編集は、映画「ディア ドクター」の取材から生まれた物語を集めたものだそうです。映画のあらすじも知らないし、松田さんが言うには映画のノベライズのようなものではないそうなので、どう言ったらいいのかわかりませんが、とても多彩。
ここに登場するのは、診療所の老医師です。湿布を貼ったり注射をうったり、というような仕事をしている。
同じような立場で、「ありの行列」の離島に暮らす老医師も、人々の愚痴や悩みを聞くことが、仕事の大きなポジションを占めている。
取材を通して西川さんが目にした「医師」の姿を捉えて、描いた短編たちです。
特に好きなのは、「ノミの愛情」。これは大病院で中心的な役割を果たす夫をもつ、その妻の物語です。かつては看護師として医療に関わってきた彼女は、献身的に夫を支えることでその思いをつなげています。彼の見栄に辟易としながら。描かれる日常の風景に、手放した過去が二重写しになって、しみいります。
松田さんは、文章で映画を見ている気持ちになってくると言っていましたが、文体よりも視点が映画的な感じがしました。
普通小説は、中心人物の視点からぶれないように書くわけです。でも、「満月の代弁者」を見ると、島を離れようとする医師と、やってくる医師との見方が重なることがあって、はじめはどちらが主人公なのか悩んでしまいました。
でも、それが非常にうまく書けているので、気にならないといえば気にならない。カメラワークのようなのですね。
西川さんの視線、もっと見てみたいと思いました。