くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「数え方でみがく日本語」飯田朝子

2011-02-05 01:15:32 | 言語
おぉ、この方、助数詞の第一人者ですよね。
飯田朝子「数え方でみがく日本語」(ちくまプリマー新書)。ちょっと興味があって、図書室に入れてみました。
そしたら、どうもわたしと同い年らしいんです。こういう専門的な研究をされている方って、なんかずっと年上のような気がしていました。あ、違うか。自分ももうすっかりそんな年になっているということなんですよね……。
学校教育では助数詞を教える場面がないのではないか。日常生活の中で自然に覚えていくものとして捉えられているのではないか、とのご指摘に、ふと教科書を思い浮かべると、「単位」とごちゃまぜにして漢字が少し、しかも助数詞はほんのわずか。「隻」とか「匹」とか。
ちょっと前まではもう少しあったんですよ。その部分では「パン」や「豆腐」「俳句」の数え方を確認したり、「うさぎ」や「蝶」をどう数えるか、その理由などを話したりしていました。
教科書からはなくなりましたが、わたしは取り上げています。「詩」「俳句」「短歌」、どれも韻文でありながら、数え方が違う。「うさぎ」のように背後に歴史を背負っている。そんなことが、言葉としておもしろいからです。
だから、この本も楽しく読みました。
日本語には助数詞がおよそ五百あるそうです。飯田さんは、その一つ一つをファイルに見立て、収納されている情報はそれぞれ厚さが違うといいます。
比喩表現は、どうしても筆者が伝えたいことですから、要注意。(たとえてまで説明しているのですからね。と、国語教育で有名なA教授がおっしゃってました)
比喩はもう一つ出てきます。なんでも「一個」「一つ」で済ませてしまうのは、湯飲みでオレンジジュースを飲むようなもの。それぞれの飲み物に相応しい器があるように、数え方にも適切な助数詞がある。
たしかに、鮭を例にとっても、「生きているサケは一匹」「新巻になると一本」「切り身になると一切れ」のように場合によって変わることもあり、面倒だという気持ちはわかります。
でも、「ことばが本来持っている力を十分に発揮させずにいることは、とてももったいないこと」という飯田さんの考えは、全くその通りだと思うのです。
語彙が少なければ、その範囲でしかものごとを捉えることはできません。思考も限られてきます。
さらに、平面的な円盤を重ねて厚みをもたせたものを、どの段階で「一枚」と呼んでいたものを「一個」というようになるのかという調査も興味深いです。
その円盤の大きさによっても、そして厚みによっても助数詞の選択に変化(迷い?)が生じる。ある人にとっては五百円玉よりも小さいものは「一個」。厚みが増すに従って「一個」と数える人も増える。
数え方からものの見方がクリアになることがおもしろい。通信手段(メールとかファクシミリとか)が「通」だったり「本」だったりする理由も、言われてみればなるほどです。
ラストにはまとめ問題もついています。どのくらい理解したかが自己評価しやすいですね。
特殊な数え方として、箪笥などが紹介されていましたが、「蔵」の助数詞が三回読んでもよくわからない……。「戸前」ですか??
とにかく、きちんとした助数詞を使って、「ことばの筋力」を鍛えたいですね。

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2 コメント

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うーむ。 (narkejp)
2011-02-05 21:44:15
ウサギは羽、蝶は頭、詩・俳句・短歌は編・句・首、食パンは斤、豆腐は丁、タンスは棹、で良いでしょうか。うーむ、蔵はわからんぞ。大小二つの蔵がある、とは言うけれど。母屋と違って棟とは言わないだろうな、構造上(^o^;)>poripori
ヴァイオリンは丁かな、台かな、それとも本?おもしろそうな本ですね。
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すばらしい、正解です (いつか)
2011-02-06 06:35:28
おおっ、一緒に数えていただいてありがとうございます。
「蔵は扉(戸前)の数と同じ」というようなことは書いてあるのですが、これが助数詞でいいのかしら、と思った次第です。
この前、割り箸を「本」と数えてしまった自分を、この本を読んで反省したのでした……
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