草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

揚げ足とりではなく建設的な保守の野党を!

2014年11月04日 | 政局

今日の参議院の予算委員会の質疑を聞いていると、民主党の桜井だったかが、わけのわからない質問をしていた。笑ってしまったのは、パチンコ屋をやっている外国人を話題にしたことだ。大部分が在日であることを暴露して、本当に自分たちが得をするのだろうか。支持してくれる在日を、それこそヘイトしたようなものである。さらに、次々と政治資金の問題で大臣を追及しても、いずれも空振りで、かえって民主党政権時代の古傷が持ち出される始末だ。経済政策を攻撃しようとしても、連日の株高でアベノミクスに勢いがついている。大胆な金融緩和を世界が歓迎しているのである。いくら足を引っ張ろうとしても、てんで迫力がない。株は庶民の生活と無縁であるかのように抗弁しても、それは全くの素人の議論でしかない。年金の運用を始め、企業の設備投資の拡大などは、めぐりめぐって国民に富をもたらす。日本が牽引車とならなければ、世界経済も復活しないのである。重箱の隅をつつくような追及しかできない野党は、国民から見捨てられるだけだ。マスコミも自民党憎しでそれに便乗しても、国民はもはや踊らされないのだ。建設的な野党として期待されるのは次世代の党や太陽の党である。自民党を牽制し、一日も早く憲法を改正しなくてはならない。危機的状況のなかで、日本が日本であり続けるには、国の根本を確認しなくてはならないからだ。

 

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安易に尊厳死を選択すべきではない!

2014年11月04日 | 医学

尊厳死を認めてしまえば、それは際限なく適用されるのではないか。死は誰もが迎えるものであるとしても、意識がある限りは、生をまっとうすべきではないだろうか。アメリカのオレゴン州で、29歳の女性が尊厳死を選択した。もはや自分であり続けられないのに悲観して、自ら選択をしたのである。しかし、それは日本では容認すべきではない。そうでなくても、高齢化が進行して、年寄りの肩身が狭くなってきている。生きること自体が難しくなってきているのだ。健康で元気な者でなくても、生きる権利があり、誤った方向に誘導されるのを恐れてしまう。つい最近、親を亡くして痛感したが、子供にとっては、生きていてくれるだけでいいのである。病と闘っている姿が尊いのである。余命何カ月という言葉は、死刑宣告を受けたのと同じだ。奇跡や希望を持つことが、どうして許されないのだろう。日本人は共同体のなかで暮らし、それは過去から未来へと受け継がれていく命の流れである。そこで生き、そこで死んでいくのである。分断された個として、終焉を迎えるのではない。今の日本では152万人がガン患者だといわれている。百人未満に一人の割合なのである。医学の進歩による救済が待たれると同時に、その人たちの希望の灯を絶やしてはならない。安易な安楽死の選択は、その希望を奪うことになりかねない。子供や孫のために、必死に踏ん張っている人たちを、見放してはならない。奇跡がありうることも忘れてはならない。あくまでも命はミステリアスなわけだから。

 

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