中1の大泉町仙石の農家W家から始まり中3の前橋市前代田のO家まで、
実に中学時代に9軒の下宿を経験しました。3学期制でしたから単純に
3年の間に「1学期1下宿」というような割合になります。転校は3回。
リヤカー1台、めまぐるしい引越しの繰り返しでした。
下宿は、いわゆるホームスティともよく似ていますが、私の場合は親元が
「女子寮」で、そこは認知されていない、帰れない「ホーム」でした。
それだけにしばしば突きつけられた「出て行け!」の最終通告には辛い
ものがありました。
高校時代になると、すっかり落ち着き、大泉町坂田のS家(大東館)に
下宿し、長く留まりました。
ここ大東館も9番目の前代田O家と同じように、奥さんがお膳を部屋に
運んでくれました。食事は部屋で一人。その家の人達との接触する時間は
少ない。これは、感情的な対立が起こりにくいベターな方式でした。
人間関係は、友人、恋人、師弟、上司部下でも当てはまりますが、最初は
急速に親密になります。しかし時間が経つと、互いの欠点が目に付き次第に
失望へと変わることが多い。密着し過ぎるとそれだけその反動が大きい。
初めは、どこも「ウチの子と同じように預かります」と言ってくださる。
これは誠、まったくその時点では、ありがたいほど善意なことなのです。
しかしそこの家の子とはちがい、日ごろから気に入らない事があっても、
どうしてもお互いに遠慮し合って感情を抑えている。真の親子の場合は、
その時、その時で、叱ったり反抗したりして言い合う分だけに鬱積した
ものはなく、コミュニケーションの免疫もできあがっています。
しかし下宿人の子はちがう。それが何かひとつの過ち(テープレコーダ事件)
をきっかけに爆発し「こんな子とは思わなかった」「さあ出て行け!」と
いうことになります。これは、他人の家に嫁いだヨメの立場にも共通した
ものを感じます。下宿人もお嫁さんも立場は弱い。
ただ、真の親子でないので、もしハズレだと判断したら直ちに退去し関係を
解消することが可能です。本当の親子は選べないし、簡単に縁を切れない。
下宿の子は、互いに選び選ばれた関係なのでいつでも離れられます。
基本的には、下宿人は「客人」であり「他人」なのです。
それを無理に「うちの子」と同じと思うと摩擦が起きるのです。
まさに嫁・姑の関係ですね。
私の推薦する格言です。
凧を飛ばして雷が電気と発見した米人、B・フランクリンの言葉。
-------------------------------------------------------
「結婚前は両目を大きく開き、結婚後は半分に閉じよ」
Keep your eyes wide open before marriage,
and half shut afterwards.
-------------------------------------------------------
私の下宿生活の失敗ケースを倒置的に転じて考えてみますと
「下宿前は目を半分閉じて、良い子だ、良い子だ。
下宿後は両目を大きく開いて、こいつ本当は悪い子だ。出て行け!」
このことわざは「結婚」の他にも、広く人間関係一般についても当てはまる
のではないかとかと感じます。職場や学校などの様々な人との交わりの場で。
「人」と「人」、そして「人」と「組織」。
そこに生まれる「期待」と「失望」・・
その様なことを、中学時代の下宿生活を通して感じ取ったような気がします。
「中学生下宿放浪記」は今月に入り、後半分を一気に書きつづけました。
元になる「日記」はありましたが、当時のことが今でもはっきり一つひとつ
思い出されるのは、それだけ中学生だった私にとって下宿生活が、刺激的な
出来事の連続であったからなのではないかと思われます。
母が亡くなった1986年は、まだ長子が小5でした。
生前、「子供たちが中学生になったら、お父さんの中学時代は大変だった、
ということを、しっかり聞かせるといいよ」と話していました。
つたないこのブログが、父から子へのささいやかな伝承になっていれば
幸いです。
当ブログ左側「カテゴリー」欄に、「中学生下宿放浪記」の過去ログが
(1)から収められています。ぜひさかのぼってご笑読ください。
最後は、前橋市内の映画館で母と見た「シェーン」の名場面とともに
終了にいたします。
当放浪記シリーズ、永らくのご閲覧、ありがとうございました。
(おわり)
【写真】12~13才ころの筆者。横の火鉢が懐かしい。
にほんブログ村 群馬 その他の街情報
Shane, come back!
実に中学時代に9軒の下宿を経験しました。3学期制でしたから単純に
3年の間に「1学期1下宿」というような割合になります。転校は3回。
リヤカー1台、めまぐるしい引越しの繰り返しでした。
下宿は、いわゆるホームスティともよく似ていますが、私の場合は親元が
「女子寮」で、そこは認知されていない、帰れない「ホーム」でした。
それだけにしばしば突きつけられた「出て行け!」の最終通告には辛い
ものがありました。
高校時代になると、すっかり落ち着き、大泉町坂田のS家(大東館)に
下宿し、長く留まりました。
ここ大東館も9番目の前代田O家と同じように、奥さんがお膳を部屋に
運んでくれました。食事は部屋で一人。その家の人達との接触する時間は
少ない。これは、感情的な対立が起こりにくいベターな方式でした。
人間関係は、友人、恋人、師弟、上司部下でも当てはまりますが、最初は
急速に親密になります。しかし時間が経つと、互いの欠点が目に付き次第に
失望へと変わることが多い。密着し過ぎるとそれだけその反動が大きい。
初めは、どこも「ウチの子と同じように預かります」と言ってくださる。
これは誠、まったくその時点では、ありがたいほど善意なことなのです。
しかしそこの家の子とはちがい、日ごろから気に入らない事があっても、
どうしてもお互いに遠慮し合って感情を抑えている。真の親子の場合は、
その時、その時で、叱ったり反抗したりして言い合う分だけに鬱積した
ものはなく、コミュニケーションの免疫もできあがっています。
しかし下宿人の子はちがう。それが何かひとつの過ち(テープレコーダ事件)
をきっかけに爆発し「こんな子とは思わなかった」「さあ出て行け!」と
いうことになります。これは、他人の家に嫁いだヨメの立場にも共通した
ものを感じます。下宿人もお嫁さんも立場は弱い。
ただ、真の親子でないので、もしハズレだと判断したら直ちに退去し関係を
解消することが可能です。本当の親子は選べないし、簡単に縁を切れない。
下宿の子は、互いに選び選ばれた関係なのでいつでも離れられます。
基本的には、下宿人は「客人」であり「他人」なのです。
それを無理に「うちの子」と同じと思うと摩擦が起きるのです。
まさに嫁・姑の関係ですね。
私の推薦する格言です。
凧を飛ばして雷が電気と発見した米人、B・フランクリンの言葉。
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「結婚前は両目を大きく開き、結婚後は半分に閉じよ」
Keep your eyes wide open before marriage,
and half shut afterwards.
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私の下宿生活の失敗ケースを倒置的に転じて考えてみますと
「下宿前は目を半分閉じて、良い子だ、良い子だ。
下宿後は両目を大きく開いて、こいつ本当は悪い子だ。出て行け!」
このことわざは「結婚」の他にも、広く人間関係一般についても当てはまる
のではないかとかと感じます。職場や学校などの様々な人との交わりの場で。
「人」と「人」、そして「人」と「組織」。
そこに生まれる「期待」と「失望」・・
その様なことを、中学時代の下宿生活を通して感じ取ったような気がします。
「中学生下宿放浪記」は今月に入り、後半分を一気に書きつづけました。
元になる「日記」はありましたが、当時のことが今でもはっきり一つひとつ
思い出されるのは、それだけ中学生だった私にとって下宿生活が、刺激的な
出来事の連続であったからなのではないかと思われます。
母が亡くなった1986年は、まだ長子が小5でした。
生前、「子供たちが中学生になったら、お父さんの中学時代は大変だった、
ということを、しっかり聞かせるといいよ」と話していました。
つたないこのブログが、父から子へのささいやかな伝承になっていれば
幸いです。
当ブログ左側「カテゴリー」欄に、「中学生下宿放浪記」の過去ログが
(1)から収められています。ぜひさかのぼってご笑読ください。
最後は、前橋市内の映画館で母と見た「シェーン」の名場面とともに
終了にいたします。
当放浪記シリーズ、永らくのご閲覧、ありがとうございました。
(おわり)
【写真】12~13才ころの筆者。横の火鉢が懐かしい。
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Shane, come back!
お祖母ちゃんの愛情一杯の子育てと、素直な子供心を大切にされて育ち、またそれを子に継ぐ。
素敵な継承を今後も続けて行きたいものです。
伝承していただければ幸いです。
色々な人間がいて、そこから色々学んだこと、感じたこと、私の人生にも大きな影響を与えました。
しかりと伝承してます。
ありがとうございます。
私も子供が生まれたら伝承していきたいです。
三女由理
それから、
Shane, come back!
は、なんだかわからないけど、涙がでました。
たったあの場面ですが、
なんでしょうか、あの、背中。
なんで、あんなに、さみしいかんじがするのでしょうか。。。。
なんで、あんなに、孤独なんでしょうか。
涙がとまりませんな。
。。。。。。
の最期のシーン、
なんとなく、お母さんと、いちろうちゃんな感じがしますね。
「シェーン」は木枯らし紋次郎の別れの場面にも似て・・
「会者定離」ですね。