当広場のカテゴリー「中学生下宿放浪記(6)農家に下宿」のアーティクルで新小泉駅については触れていますが、写真を撮っていなかったことをとても残念に思っていました。記憶の中にだけ残っていた新小泉駅の写真がきょう見ることができ嬉しくなりました。記憶の中の駅は1960年代初頭であったこともあり、駅名の文字も鮮やかで活気を感じたものでしたが・・。
大泉町立南中には、W家から徒歩で通いました。
とにかくに母の住むところにやってきて寂しさは多少なくなりましたが
それでもまだまだ十分ではありません。母恋しさで三洋電機女子寮には毎日
欠かさず通っていました。
W家の近くに新小泉駅がありました。(1975年廃止の東武仙石河岸線貨物駅、
所在は今の町立体育館付近)
前橋の祖母の家に置いてきた自転車をチッキ(託送手荷物)で送ってもらい、
ある日、新小泉駅に取りに出向きました。貨車の荷物の上に横になっている
懐かしいクリーム色の愛車と再会したときは嬉しかった。山口自転車製、3段
切替え、自慢の軽快車でした。
カメラ好きの私でしたがW家、新小泉駅などの写真が一枚もないのが残念です。
きょうの上毛新聞ニュースに新小泉駅の写真が掲載されていました。
記事は以下。
《消えた鉄道 今昔》貨車が砂利や製品運ぶ 西小泉―仙石河岸
群馬県大泉町にあった貨物専用線、東武鉄道仙石せんごく河岸がし線の西小泉―仙石河岸間(3キロ)は、1976年に廃止された。
鉄道史学会員の原田雅純さん(66)=高崎市=によると、利根川の砂利を運搬するため、39年に開通した。
【写真】貨物専用の新小泉駅(1971年 原田雅純さん撮影上毛新聞ニュース)
悲しき鉄道員 (1970年) ショッキング・ブルー(オランダ)
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