ポポロ通信舎

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グアム住民の苦悩を知る

2012年09月12日 | 政治

What will Happen to my Generation and the next. They keep taking OUR LANDS ?

(ぼくらの世代か次の世代に何が起こるだろう。かれらはぼくらの島々を守ってくれるだろうか?)グアムの先住民チャモロの少年が掲げるボード=写真。2010年のアメリカ海兵隊グアム移転計画の公聴会では激しい議論があったという。8月26日放映のNHK ETV特集「オキナワとグアム」は私に欠けていたグアムの現状認識を補う良い機会となった。

グアムへ移転でいいのか?

基地は沖縄からグアムに行けばそれで解決という問題ではないことがよく分かった。何よりも驚いたのは、グアムはいまだに国連作成の「非自治地域」のリストに入っていることだ。グアムの住人たちには市民権が完全には保障されていない。大統領選挙の投票権がない。グアムから米下院に議員は送っているものの、その代表には肝心な議決権が与えられていない。島の代表は単なるオブザーバー、傍聴人でしかない。これでは植民地状態と言っても過言ではないだろう。

土地奪われたグアム人

グアムは沖縄と同じ観光と基地の街。土地の3割がアンダーセン空軍基地=写真=などの軍用地で占められている。人口は16万人。グアム知事は失業率13%(うち10代38%)を憂い雇用と経済効果を期待して米海兵隊の誘致には積極的だ。しかし僅かな補償金で土地を買い取られた(事実上奪われた)先住民チャモロの人たちは、沖縄の人たちと同じように、戻れない土地を前に苦悩がつづいている。これからさらに基地が拡大することは本当に島の人たちのためになるのかどうか悩みは果てしない。

西、米、日、米と領主が変わる

グアムは19世紀末、米西戦争でアメリカがスペインに勝ち米国の植民地になった。1941年12月10日日本軍が占領。グアムは「大宮島」と名付けられた。先の大戦で日本が唯一獲得した有人領土でもあった。しかし1944年に米軍が奪還。その後は対日攻撃の前線基地と化した。先住民は米軍に土地を奪われたが、言語(チャモロ語)も禁じられたと老グアム人が語る。

自己決定権ない「遠隔地」

沖縄の基地の中には、先祖の墓がある。これと同じことがグアムにも。グアムは、旧琉球と違って島民には、米国本土と同じ権利を有しているとばかり思っていた。その上での積極的な基地誘致活動をしているのかと。
「グアム」と「オキナワ」、どちらも自己決定権をもっていない。また「原発誘致」と「基地誘致」、いずれも国策に翻弄される悲しい運命を感じさせられた。

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