当広場2012.6.4「座頭市は上州人だった」は、アクセス数が多く好評だったようです。ドラマの中では、市さんの生まれ故郷は「上州笠間」・・群馬県内のどのあたりでしょうか(笑)
「座頭市は残照の男だ。暮れかかる道を去る後ろ姿が小さくなって映画が終わる。いつも独り。おぼつかない足取りで。現代社会ではヒーローでいられない。市は盲目やくざ。住所不定の犯罪者だ。なりわいはおもに人殺し」(朝日新聞 土曜別紙「be」2012.9.8)
朝日新聞(鈴木繁氏)の人間、市に対しての描写記述はおおむね的確ですが、「な りわいはおもに人殺し」は、正しくないように思います。物語の成り行きで結果的に、常に人を殺めることになってしまってはいるものの彼のなりわいは「あんま」もしくは「博徒」でしょう。「殺し屋」ではありません。
私は勝新太郎の座頭市の全巻、さらにビートたけしの『座頭市』(2003年)と香取真吾主演の『座頭市 THE LAST』(2010年)、すべてを鑑賞しました。そこから感じ取れたことは、20余の勝新太郎の座頭市の作品に一貫して流れている精神、ポリシーがあります。残念ながら勝新太郎以降のビートたけしや香取真吾の作品はそれをしっかり継承していません。外れてしまっています。朝日の「なりわい」と同じように。
正当防衛を無視したビート作品
ビートたけしの『座頭市』は、立ち合いの場面がとても少ない。勝座頭市は全巻を通じて決して自分から刀は抜いていない。市の本来の性格は優しく、殺傷を好まない設定だ。しかし相手が問答無用で襲いかかってくることでやむを得ず、いわば正当防衛で敵を斬り倒す。ところがこの「鉄則」をビートたけしの作品は破ってしまった。最終場面では、なんと自分から刀に手をかけ相手を殺してしまう。こんな座頭市ってあるのだろうかと後味の悪さ、この上ないものでした。
弱い“真吾座頭市”で幕
一番新しい2010年の香取真吾の『座頭市』は、なんとも軟弱な主人公。会話も現代風でミスマッチ。軽侮され、差別され、それに対して果敢に義憤し抵抗する座頭市本来のもつ魂、パワーが少しも感じられない。驚いたことに結末は殺され死んでしまう。題名の「THE LAST」とはそうういう意味だったのか・・。ビートたけしの邪道、香取真吾の終焉、きっと草葉の陰で正調座頭市、勝新太郎は歯ぎしりしているに違いありません。もう一度やり直してよ、勝さん!
『座頭市』シリーズは1960年代、初期の作品に傑作が並んでいます。舞台に赤ちゃんが登場する『血笑旅』などの作品がいくつかありますが、赤子を抱く市は、また格別の味を感じさせてくれます。
勝新太郎 座頭市の唄
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