ポポロ通信舎

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新選組がつくった箱館新政府

2022年12月28日 | 政治
土方歳三(ひじかたさいぞう)率いる新選組は蝦夷の地(北海道)を支配していた松前藩を攻略。松前の藩主と藩兵は青森の平館に脱し、ここに新選組による「箱館政府」が樹立した、いわゆる「蝦夷制圧」。今日からちょうど154年前、1868年(明治元年)12月28日の出来事でした。

蝦夷地を運営するにあたり箱館政府の閣僚選挙が行われ、総裁に榎本武揚、副総裁に松平太郎、土方歳三は陸軍奉行、箱館市中取締、裁判局頭取に任じられた。
箱館新政府の政体は共和制、国名は蝦夷共和国。
在留諸外国公使らを招いて祝賀会も開いたという。

しかし翌年、明治2年5月には箱館政府(旧幕府)軍と明治政府軍の両政府軍の戦いにより五稜郭(箱館政庁)は降伏し開城。1年半に及んだ戊辰戦争は幕を閉じました。土方歳三は一本木関門の戦いで戦死。

私がこれまでいだいていた新選組のイメージ、歴史認識は不十分であったことに気づかされました。

新選組=旧幕府軍=守旧派、封建主義の古い思想
薩長の政府軍=錦の御旗の尊王軍=進歩派、新しい思想


現存する土方歳三の姿を見れば、頭髪はちょんまげではなく普通の散切り頭。洋服を着ている=写真。フランス軍の軍服。当時旧幕府軍はフランスと親密だったことが伺われる。一方薩長の勤皇派はイギリスと友好関係。

2019年4月、新政党「れいわ新選組」が登場したときは、なんとも古臭い名前を付けたものだと思った。新選組の名称からくるイメージが、封建・守旧派として感じていたからだ。

しかし新選組、中でも土方歳三たちが蝦夷地にわずか半年の短命な政権とは言え箱館(函館)に共和制の新政権を樹立したということは、特筆に値するものでした。

明治政府=官軍、箱館政府=賊軍の見方が通説でしょうが、明治政府に与えた衝撃には大きなものがありました。「箱館」が「函館」に改称したのも「箱館戦争」を経てからのことを見ても。

どうやら新選組のスピリッツは、単なる旧体制維持ではなく、時には明治政府軍をも凌ぐ進歩性さえあったように感じ取れます。

こうして改めて新選組を学びなおすと政党名に「れいわ新選組」と名付けた命名への深い思いが伝わってきます。今月行われた党代表選では自称「話の分かる右翼」の古谷秀衡氏が現れたのも歴史を見直す上で興味深いものがあります。

新しい年は、明治土方歳三に代わり令和山本太郎新選組に希望の芽があるのかもしれない・・と。


参考にした図書『新選組 幕末斬闘賦』 学研パブリッシング 2010年2月
写真:土方歳三




「サイレント」良いドラマでしたね。脚本家が看護師から転身した群馬出身の女性(生方美久さん)ということで注目していました。前評判通りの傑作でしたね。
【ドラマ「silent (サイレント)」主題歌】
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