ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

子ども用放射性防護服

2012年05月17日 | 原発震災・原発問題

「通学用レインコート」ならともかくも「子ども用放射性粉じん防護服の宣伝が福島県の有力地方紙「福島民友」の広告欄に掲載された=写真

この広告の是非を問うものではありません。こうした用品が必要とされるような事態の深刻さを改めて感じさせられます。

総理大臣が何を言おうが福島第一原発は収束していません。放射能は放出されつづけています。「今も毎時0.0004μSvの放射線量が増え続けている。」(武田邦彦氏・中部大)。武田氏の予測では、日本の平均的なロケーションにある三重県を例にとるなら、震災前0.04、昨年9月0.09μ・・この分で進むと2015年3月末には年間5㎜Svに達するという。

ならば子供用防護服広告は、福島にとどまらず他県の地方紙、さらには全国紙、通販雑誌などにも、いずれ登場するかもしれない。

私が放射線測定器を初めて購入したのが丁度1年前、昨年の5月24日。まだ高価で7万円以上した。このところの価格低下の変化はすさまじい。最近は数千円台で入手できる。放射線量計が体温計並にここまで広範に普及するのに時間がかからなかったことにもまた驚きだ。

防護服に線量計・・ SF小説のような世界が現実と化している。誰がこのような事態を予測できただろうか。そして誰がこのような事態を招きいれたのだろうか。

 

これより余談ですが「福島民友」と聞くと福島三洋電子の発足式を思い出す。1987年、福島県喜多方市の同社を訪ねた。それまでは品川電機の社名でオーディオ事業部門に属していた同社が半導体、さらにはアモルトンへと向わんとする再成長期を迎え活気があった。

カメラ業界ではオートフォーカス(AF)の一眼レフカメラが市場を一新。引き金となったミノルタα7000がベストセラーになっていた。発足式には社有のミノルタα7000はでなく、自前で買ったニコンF501(ニコン初のAF機)を手に喜多方に向かった。同市は、蔵とラーメンの街というふれこみで徐々に観光的にも注目され始めていた。のどかな感じの良い街だった。有力地方紙が、上毛新聞1紙の群馬と違い福島県内には「福島民報」と「福島民友」の2紙存在することも知った。式典会場で「民友」の記者と名刺交換したことが思い出される。。

にほんブログ村 群馬 街情報

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 闘う南相馬市長 | トップ | ホルムアルデヒドと放射能 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

原発震災・原発問題」カテゴリの最新記事