ポポロ通信舎

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【中学下宿記】(11) 僕、女子寮に住みたい!!

2009年10月27日 | 中学生下宿放浪記
中学校はイヤになった。下宿も息苦しくなった。
今では一番落ち着けるのが女子寮、そして母の部屋。寮こそわが家、
寮生は実姉のようだった。13歳の私には、まだ異性の意識は全く無く
平気でみんなの部屋に行き遊んだ。山形から来た漫画好きのM姉、
寮の前にあった大きな体育館でバトミントンの相手をしてくれた
宮城の美しいS姉、岩手出身の優しいM姉=写真=など。

「下宿はイヤだ。女子寮がいい、女子寮に住むう~」
ある日とうとう母の部屋で、私が駄々をこねた。
それを聞いた母は、なんとも苦しそうな表情を見せ、歯を食いしばる
ようにして私を見つめ、そして私を叩いた。その後、母もさめざめと
泣いた。。


強いと思っていた母が涙した顔には、あっけにとられた。驚いた。
三洋電機に入社の話があった時、私にあれだけ「女子寮勤務は別居が
前提。一人でやっていけるか」何回も聞いた母。その時はノーテンキに
OK、OKといっていた私。
言ってはならないことを口にしてしまい母を困らせてしまった。

その日はしぶしぶ下宿に戻ったが、しかし母の方は事を強く受け止めた
ようだった。母は再び、転職を考え行動した。
某楽器会社の保養所が葉山(神奈川)にありそこの管理人に採用すると
上京し面接まで受けたという。
「どうする一郎、一緒に住めるようになるよ。葉山に行こうか?」と母。
そこまで考えてくれた母の気持ちは、とても嬉しかったが、私は迷った。

寮生の一人が、
「私たちも寂しいけれど、イチローちゃんも寂しいよね。
だけどイチローちゃんのお母さんは、(寮生)みんなのお母さんでも
あるんだよ」と言ったことばを思い出していた。
寮の仕事に母は、やり甲斐をもっているように見えるし女子寮の人達を
前に、自分のわがままだけで母と葉山に行っていいものだろうか。

「葉山には行かない。お母さんは三洋の仕事を続けて。(僕は)なんとか
頑張るから」
母は、私の気持ちを聞き従ってくれた。
これまでも母は、私が小学生時分にあった再婚話のときも相談してくれた。
そのときも「新しいお父さんは要らない!」の私の意見が通った。
母自身の考えも、もちろんあったと思うが今度も母は“事前協議”をし
私の意向を汲んでくれた。(つづく)


【写真】消防車まである三洋守衛所付近。
    守衛さん、寮生のお姉さん達、北中生の僕。

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (おばば)
2009-11-23 21:46:15
お母様は、イチローちゃんをぶったあと、涙したんですね。
どちらもつらかったんですね。

そうやって 人の気持ちを知り、人に優しくできて、アイデンティティの確立、我慢すること等を知っていくんですね。


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おばばさん (popolo)
2009-11-24 21:15:52
ここのところは、どちらもどうしようもないほど策が見当たらずただ泣くだけでした。。
返信する

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