旧制太田中(現・群馬県立太田高校)の卒業生の戦死者が学年によっては3人に1人にのぼっていたことが地元の研究者の調査で分かった、とのニュースが報じられました。(朝日新聞群馬版9/5)
手元の同窓会名簿で確認してみました。最近の発行名簿では死亡者は黒丸●表示で統一され戦死者の区別はできません。私の持っている名簿で一番古いもの、昭和42年3月発行=写真=では戦死での死亡者は二重丸◎になっていて一目で判明できます。確かに1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)の卒業生名には戦死の二重丸が多いのに驚かされます。若い命が戦地で散った歴史は古い卒業名簿が静かに語っています。
ちなみに二重丸戦死者の第一号は明治35年3月卒業の須永城一郎氏。農民運動家で無産村強戸を実現した須永好翁の叔父上です。経歴欄に陸士とありますから陸軍士官学校に進学したことを意味します。
再び二重丸の戦死者マークには無縁の非戦な世の中がつづくことを願います。
太田高校応援団 応援歌 時は来たれり H28.7.10 桐高戦
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