俵萠子さんが肺炎でお亡くなりになりました。77歳。
女性のニュースキャスターの草分けのような方でした。
著書『六十代の幸福』のことを7月の本広場で書きましたが、
とてもお元気で前向きな方、まだまだ活躍していただきたいと思ってました。
乳がん、交通事故、うつ症、多くの試練に直面してもめげずに上手なお歳の
取り方をされていました。
夫だった俵孝太郎氏は保守的な政治評論家ですが、彼女はきわめて進歩派。
離婚後も同じ俵姓を名乗っていましたが、本名は中野姓。
亡き父親中野順次郎氏が上州人で、生前、故郷群馬をいつも懐かしんで
おられたという。その遺志を継いでの群馬入りが1995年。その頃、大泉
文化むらで三洋電機社長らとパネラーとして登壇し講演されたことが思い
出されます。
「群馬は食の文化が乏しい、最適なお土産を探すのにちょっと」「上毛
は県外の人はウエケ?と読みますね」などユーモアがあり明るくはっきり
物事をおっしゃる人でした。
政治的には70年代、田中寿美子(社会党参議)、吉武輝子(作家)らと
「政治を変えたい女たちの会」に参加。中山千夏ら主宰の革新自由連合公認で
立候補されたことも。できれば一度、参議院議員になってほしいひとでした。
群馬県富士見村赤城山山麓の『俵萠子美術館』はぜひ何かの形で残して
いただきたいと思います。飼っていらしたノラ犬くんの行く末も心配です
写真=中央が俵萠子さん。右=ワイフ。
女性のニュースキャスターの草分けのような方でした。
著書『六十代の幸福』のことを7月の本広場で書きましたが、
とてもお元気で前向きな方、まだまだ活躍していただきたいと思ってました。
乳がん、交通事故、うつ症、多くの試練に直面してもめげずに上手なお歳の
取り方をされていました。
夫だった俵孝太郎氏は保守的な政治評論家ですが、彼女はきわめて進歩派。
離婚後も同じ俵姓を名乗っていましたが、本名は中野姓。
亡き父親中野順次郎氏が上州人で、生前、故郷群馬をいつも懐かしんで
おられたという。その遺志を継いでの群馬入りが1995年。その頃、大泉
文化むらで三洋電機社長らとパネラーとして登壇し講演されたことが思い
出されます。
「群馬は食の文化が乏しい、最適なお土産を探すのにちょっと」「上毛
は県外の人はウエケ?と読みますね」などユーモアがあり明るくはっきり
物事をおっしゃる人でした。
政治的には70年代、田中寿美子(社会党参議)、吉武輝子(作家)らと
「政治を変えたい女たちの会」に参加。中山千夏ら主宰の革新自由連合公認で
立候補されたことも。できれば一度、参議院議員になってほしいひとでした。
群馬県富士見村赤城山山麓の『俵萠子美術館』はぜひ何かの形で残して
いただきたいと思います。飼っていらしたノラ犬くんの行く末も心配です
写真=中央が俵萠子さん。右=ワイフ。
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