ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

降りかかる不条理に抗す(10)

2020年10月11日 | 研究・書籍
『ペスト』で不条理哲学を理解


当方がカミュを知ったのは20代の頃、映画『異邦人』だった。てっきりフランス映画かと思っていましたら今確認するとイタリア映画でしたね。

主人公ムルソーのなんとも空虚な独善性には妙に惹かれるものがあった。映画館を後にし街中を歩き出すと頭がクラクラしていたのを覚えています。その時の印象は10代の夏、太宰治の小説に出会い衝撃を受けた、あのダダイズムの臭いと似ているものだったような記憶でした。

『異邦人』のムルソーの不条理な行動はなぜか十分に同情できた。しかしこれでは出口のないニヒリズムに陥ると思った。再び高校時代の太宰文学に傾倒した時のようになるのではないかなと。カミュの「不条理」は自分をダメにしてしまう、ムルソーのような運命をたどるのはまずい、と直感した。

「革命か反抗か」のサルトルとカミュの論争では、ここでもカミュの孤立主義的なニヒリズムでは社会の進歩と改良は成り得ないように感じていた。

そして今回の『ペスト』。
この作品を読みカミュへの見方はすっかり変わった。カミュの哲学を正確に把握できていなかったのだ。不条理な敵(感染症)を相手に「保健隊」という組織を結成して抵抗している。これはもはや孤立主義ではない。個性あるそれぞれのキャラクターが協力し連帯する。それは『異邦人』には見られないひたむきな健康さを感じ取ることができる。

「不条理」を前にして、それに飲み込まれた青年ムルソー、対照的にそれにめげず、たとえ勝ち目はなくとも抗しつづける医師リウーとその仲間たち。

『ペスト』の舞台はオラン、ここは当時フランスの植民地アルジェリアの一都市。カミュに批判的な識者からは、現地住民(被支配者のベルベル人、アラブ人)の生活実態が描かれていないとの指摘が挙がる。しかし私はあえてそこまで求めなくて良いと思う。

ダニエル・デフォーの『ペスト』は英国ロンドンでのほぼ実録を基にしたものだが、それとは異なりカミュの『ペスト』は、感染症禍もロックダウンとも無縁の町だったオラン。ただ、それはそれで物語は成り立つ。植民地支配の描写までに気を回す必要はないでしょう。あくまでフィクションであり小説のモチーフはしっかり伝わっているわけですから。


 

アダモの生まれもフランスでなくイタリア(シチリア島)であることを知りました♪

夜のメロディ / アダモ
コメント
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