記録すること、記憶すること
10月に入りました。相変わらず『ペスト』を読み直しています。
“副読本”として『マンガで読むアルベール・カミュ「ペスト』(宝島社)も加えました。
これはビジュアル編集で分かりやすい。登場人物紹介では青年医師リウー、旅行者タルーら6人を代表的に選んで、それぞれの異なる性格スタンスを端的に寸評している。これで一層理解が深まり整理された。
マンガ描写の一方、カミュが伝えたかったことは『ペスト』では何かを探り解説している。
10月に入りました。相変わらず『ペスト』を読み直しています。
“副読本”として『マンガで読むアルベール・カミュ「ペスト』(宝島社)も加えました。
これはビジュアル編集で分かりやすい。登場人物紹介では青年医師リウー、旅行者タルーら6人を代表的に選んで、それぞれの異なる性格スタンスを端的に寸評している。これで一層理解が深まり整理された。
マンガ描写の一方、カミュが伝えたかったことは『ペスト』では何かを探り解説している。
リウーがペストとの闘いで勝ち得たもには、認識と記憶であったと言う。ペストのような事態が起きた時、大切なことは立ち向かった人を記録し、忘れないことなのだ。戦争も同じ。勝ち負けどちらの側にあっても、忘れてはならない。カミュが作家としての使命はそこにあると考えたであろう、と。
奇しくも今週月曜で最終回となったデフォーの『ペストの記憶』NHK 100分de名著でも、「記録すること、記憶すること」がテーマだった。
カミュの『ペスト』もデフォーの『ペストの記憶』も疫病や自然災害を描いた「災害文学」とされる。
ものごとを都合よく勝手に解釈する「ポスト・トゥルース」は良くない。現実を直視せず科学的な検証とは無関係に、時には政権を維持するために公文書を改ざんしても構わないとするような風潮は決して許されるものではありません。『ペストの記憶』でも死亡週報における数値の改ざんへの言及があった。
『ペストの記憶』100分de名著の著者、武田将明先生は「“記憶に訴える”ということこそ文学の可能性、忘れられた災厄の記憶を思い出す。グロテスクな無意識のような形のまま遭遇する。これは、未来の私たちも含めたあらゆる時代の都市に暮らす人々にとって、意味を持つことになるでしょう」と。
引用が多くなりましたが、現下のコロナ禍でも「記録すること、記憶すること」の大切さを忘れてはならないでしょう。不幸にも希薄な認識力しか持ちえないリーダーを仰いでいる私たちポポロは、自らも各自が記録し記憶することが必要に思えます。状況を観察し手帳にまとめていた旅人ジャン・タルーのように。
(つづく)
ジュリエット・グレコ ムーランルージュの歌 with ロートレック