ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

敗戦の悲惨さ描き続ける面高春海展

2015年08月07日 | 教育・文化

3年振り。(前回は2012年8月30日31日
群馬県大泉町文化むらで8月6日、7日で「第3回面高春海作品展&トーク」開催。

最新作「世界のどこかで(戦車が来た日)2015」=写真=では、右上に原子力発電所の建屋と原発作業員らしき人物の姿が・・

小学校3年生の面高少年が見た命からがらに逃走してきた悲惨な日本人開拓団の人たち(黒い集団)と、福島原発禍から追われるの原発避難民の人たち・・
敗走する日本兵が面高少年に「早く逃げろ!ここにいたら殺されるぞ!」と。福島でも事故直後に、防護服姿の役人らしき人が「ここは線量が高い、早く逃げろ!」と・・。放射濃度は多少弱まったとはいえ本来ならば、すみやかに放射線管理区域に指定し避難しなければならない広域に今も人々が住み続けている現実。「学童疎開」どころか帰還をすすめるような国の指針。
「満洲」も「原発」もどちらも国策の破たん。その結果による棄民政策といっても過言ではないでしょう。

今回、最近の面高作品の中に「原発」が描き込まれたことは、一段と高く評価されます。
会場には、一般の見学者の方の他に面高さんが現役時代に英語の先生も勤めた「東京三洋女子高等学院」の卒業生の皆さんや、旧東京三洋電機の関係者の人たちの姿がありました。また、岡部清風(和彦)さんの「しの笛」(和楽器横笛)による調べが場内を流れました。「夏の思いで」「浜辺の歌」「荒城の月」~など懐かしき日を彩る名曲の数々・・♪

面高さんの展示会は「8月」に開催することに意義があります。被爆・敗戦の8月、きな臭い安保法案の制定が再びうごめく中、もういちど平和の尊さ、戦争の愚かさをしっかり見つめなおしてみたいものです。

 

面高春海(おもだか はるみ】(昭和11年(1936)- )満州国大連生まれ。立教大学卒業後、東京三洋電機入社。同社を57歳で退職。以後画家の道に。独立美術協会 所属。=写真=(制作技法を説明)


 

 消えない記憶 少年の満州(佐竹明彦さん制作)

コメント (3)
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