最近、私が新たに知った反原発運動を担った3人の先人たちを紹介します。
発言した科学者、水戸巌
群馬出身の高木仁三郎さんについては当広場でも紹介しましたが、核物理学者の水戸巌さん(1933-1986 故人)も忘れてはならない人。1970年ごろから反原発運動に取り組み、茨城の東海第二原発の設置取り消し訴訟では証人として出廷。「ひとたび事故があれば1千万人を超える人が転居の対象になる」と指摘していた。水戸さんは嫌がらせを受けた。家族への脅迫電話や不審車、そのため水戸さんは応戦用に、ポケットの中に石つぶてをいくつも入れていた。水戸さんの不屈の精神に影響を受けた学生の一人が当時東北大生だった小出裕章。「原子力発電所と呼ぶには間違い、海温め装置と呼びなさい」と小出に教えたのは水戸、その人。
双子の子息(京大院生と大阪大生)と趣味の登山中、北アルプスで消息を断つ。夫と息子達を一度に亡くされた妻、水戸喜世子さんの嘆きは想像に絶します。
反原発ミニ政党の今野敏
1989年の参院選比例区にミニ政党「原発いらない人びと」から立候補していた人がいる。今野敏さん(1955~)。当時東京都内の街頭で反原発を訴えたものの、まったく反応がなかった。演説会に集まるのは市民運動家の関係者ばかりだった。結果はもちろん非当選。今回の衆院選挙後どんな政権になるかわからないが、官僚は基本的に原発継続で動いている。「この構造を変えるには有権者も、自分が期待した政権にはある程度我慢して、なおかつ応援しつづけることが必要」としている。(12/8朝日)
背景に「戦争」があると淡路忠男
『ゲンバクとゲンパツ』(みずち書房)の著者、淡路忠男さん(1936~)もするどい洞察力をもった人です。両親とも長崎で被爆。1976年、米スリーマイル事故の起こる3年前にオハイオ州のトレド市郊外に新設する原発に反対して、米大陸横断の平和行進に参加している。夏場の高校野球決勝戦時間帯での電力不足宣伝を見抜き、火力水力で十分カバーでき余裕さえあることを数値を示していた。「メルトダウン」「ホットスポット」「トイレのないマンション」など近頃ではすっかりお馴染みになった用語が1990年代、まだ国内原発37基の時代に警鐘を鳴らしていた。コージェネレーションシステム(電熱供給システム)についても提案し言及。なお同システムはすでに三洋電機が大泉地区で実用化している。
エネルギー消費のもっとも無駄遣いは大国の軍事用。節電法のベストは「平和」とも。
ゲンバクとゲンパツ―核時代を考え、生きる (父から子に語る) | |
淡路忠男 著 | |
みずち書房 |